カテゴリー別アーカイブ: ガイドという生き方

「自然の回復は早い」、新しいスタッフとリカバリーしながら南富良野のシーソラプチ川でラフティングを提供する「かわのこラフティング」福田博之さん

かわのこ 福田博之さん

かわのこラフティング 福田博之さん

 

―この川の魅力をおしえてください

福田 空知川の上流部にあたる「シーソラプチ川」は人工物が一切目に入らない自然の川。ゴール手前で空知川に名前が変わり、そこはかつて国体のコースにもなった変化に富んだ魅力のある川です。

当社のラフティングは、春はゴールデンウィークからシーズンが始まるのですが、この時期は雪解けの水が供給されるので水量も一番のピークになります。3週間くらいかけて水量も落ち着いてきて、水量安定期に入ります。そして夏休みになると雨の日も増えてきます。

大雨が降るとハイウォーターといって水量が多くなり波も大きくなって楽しみも増えるのですが、その分リスクも増えます。あまり多いと子どもとかが参加できなくなったりしますし泳いだり、飛び込んだりもできなくなります。逆に水量が少ないと、水がすごく清んできれいになります。

 

―どのくらいの川を下っているのですか?

福田 たぶん北海道の川は100カ所に迫るくらい下っています。ほとんどカヤックやカヌーを使って。個人的には十勝にある歴舟川が好きですね。いい川です。でも、夏は水量が減るので営業としてツアーで下るのはちょっと難しい部分があります。その点、シーソラプチ川は夏でも水量が安定していて営業ができます。プライベートでも下るくらい大好きです。

 

ラフティングボートを片付ける福田さん

 

―どういった部分が魅力?

福田 「自然の力を利用して移動していく」というところが好きです。わたしはスキーも好きで、スキーも一緒。自然の地形などを利用して動いていく。川下りも水をつかって自然の重力で下りていく。このことが、楽しい(笑)。

ロッククライミングや登山も楽しみますが、どっちかというと、川下りとスキーのほうが好きです。海でシーカヤックもやるのですが、やっぱり川が好きですね。屋号にあるように「川の子」なのです。アウトドアは全般的にやります。やらないのは空だけですかね(笑)。

 

―アウトドアに魅了されたきっかけは?

福田 わたしは1972年、東京生まれの東京育ちです。学校を卒業して1年間だけ、サラリーマンをしました。建築関係でした。23歳の時に仕事を辞めて、1人でカナダのユーコン川をカヌーで下りました。3ヶ月間、2,000キロに達しました。友人から借りたカヌーイストで作家の野田知佑さんの本を読んだことがきっかけで行きたくなりました。

そこでファルトボートという組み立て式のカヌーを買って、東北エリアの川を何本か下って練習しました。テントに泊まるキャンプは好きでやっていたから慣れてはいました。ユーコン川のグレードはさほど難しくないんです。たいした瀬もありません。しかし、1週間くらい町がないウィルダネスを下らないといけないのでその分の食料を持って移動する野営的な能力とかが必要になりました。この旅を契機に、もっと深くアウトドアの世界を知りたいなあと思って、北海道に来たのです。

 

更衣室での福田さん

―その後の行動は?

福田 ユーコン川の旅が終わったら就職しようかなと思っていましたが、社会復帰せずにちょうど、北海道のトマムでスキー場のアルバイトの求人があったのです。スキーはもともと好きでした。ちょうどバックカントリーを始めていたころ。冬はスキーの仕事、夏もアウトドアでの仕事をして生計を立てたいなあと思ってのことでした。1998年、25歳の時でした。

 

―ラフティングを知ったのは?

福田 冬、トマムで働いていたとき、上司に夏の仕事としてラフティングというものがあるよとおしえてもらったのです。そこで近くの「北海道アドベンチャーツアーズ(hat)」さんにお世話になることにしました。10年くらい社員としてラフティングガイドをしました。

 

―そして独立ですか?

福田 2011年に仲間2人で独立、開業しました。自分たちの思い描いたスタイルを出してやってみたかったからです。それは小規模、少人数ツアーです。当時は10艇ぐらい一度に出るツアーが多かったのです。多艇数では、わーっと出ていくようなツアーになり、どうしても参加者との接点が少なくなるのです。人数が少ないほうが、川に飛び込んだり、浮かんでみたり、流されてみたりできます。ラフティングだけではない、キャニオニングの要素を加えた濃いツアーができるのです。僕らはそういった方向を志向していました。

 

川を見つめる福田さん

 

―順調に来たところに想定外の災害が・・・

福田 台風10号による甚大な被害は2016年8月のことでした。町内の観測所では観測史上最大の記録的豪雨となり、堤防が決壊。国の激甚災害・局地激甚災害に指定されるほどでした。うちも大変でしたが、今振り返れば、いい面もあったと思っています。まず、断捨離ができた(笑)。強制断捨離です。人のあたたかさも感じることができました。行政の支援があったりとか。今いるスタッフもその時のボランティアで来てくれた人なのです。いろんな人に支えられて、リカバリーできてきました。

川は、ラフティングコース部分はほとんど変化はありません。その下流、落合から下の方は護岸工事が入って変わってしまった場所もありますが。魚の調査をしている人から聞いた話ですが、魚の生息環境としては逆に良くなったそうです。山から砂利が供給されたからだと。増水で樹木が流された場所には若木が生えてきて環境的には自然になじんできました。自然の回復は早いですね。

 

―今後の抱負をおしえてください

福田 今、新しいアクティビティを開発中です。まだ、いろいろやるべきことがあり、準備中なのですが。近くの川でアドベンチャー系の川下りです。それもあって、新しいスタッフ2人を育てているところでもあります。若い人をリバーガイドとして受け入れて育てていきたい。

加えて、ここのベースでお客様がキャンプもできるようにしたいなと思って準備しています。来シーズンからですね。プライベートでキャンプができる小キャンプ場。川のせせらぎを聞きながら寝られます。ぜひ、南富良野に遊びに来てください。

 

本文敬称略

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水をベースに森との関連を伝える環境教育の要素を加えたプログラムを展開したい〜「ウッキーズ」加藤寿宏さん

ウッキーズ加藤寿宏さん

ウッキーズ 加藤寿宏(かとう・としひろ)さん

 

―どのようなプログラムがありますか?

加藤 当社は川のプログラムがメインです。人気は「のんびり川下り」といって1歳からできる川下り。ラフティングのボートを使ってゆっくりと自然を感じながら川を下るツアーです。

ほかにはカヌーツアーや、カヤックツアーがあります。最近は1人乗りカヤックの人気があるのでしょうか。家族で参加され、それぞれが1人乗りのカヤックに乗って川を下るツアーも、お客さまの要望に応えるかたちで実施しています。

 

―コースはどこですか?

加藤 川のフィールドは空知川の中流域、富良野の市街地から少し下った部分をコースにしています。同じ部分でもラフトボート・カヌー・カヤックと乗り物が変われば迫力がだいぶ変わってきます。

わたしも始めは上流部で激しいラフティングのガイドをしていましたが、上流部では小さな子どもたちが乗れないのです。家族で来ると、どうしても、お母さんと小さいお子さんだけがベースで待っているという状態を見てきました。ペット同伴の場合、愛犬もそうです。せっかくの家族旅行なのに、みんなで参加できなくて、もったいないなあと。だったら、家族全員が参加できる場所に移そうと思って現在のエリアにしたのです。

たまたま、見つけたコースが誰も使っていないコースだったことも決め手でした。自分自身もアウトドアするなら、人に会わないコースのほうがいいやと思っていたので(笑)。2006年の開業以来使っています。富良野のまちに近いこともあり、移動時間が短いことも利点です。

 

ウッキーズさんのカヤックプログラム

―どのような雰囲気ですか?

加藤 サラリーマンを辞めるきっかけになったことに、カヌーイストの中では有名なカナダのユーコン川に行ったことがあります。2週間くらいカヌーで川旅をしました。ここが、その時の景色に似ていたのです。景色は、北海道のドーンという雄大な雰囲気。僕にとってはピタッとはまり込んだ場所だったのです。

空知川周辺は、春夏秋冬がわかりやすい場所。新緑の緑から深い緑になり、お盆が過ぎるとちょっと褪せてきてやがて紅葉になって雪が降る。すごくいい場所です。

 

―ユーコン川に行くまでは?

加藤 静岡県生まれで、子どものころから自転車が大好きでした。自転車の三角形部分の部品であるフレームをつくる職人になりたかったのです。そこで東京に行ったのですが、都会の生活になじめず。地元に戻ってきて、自動車の関連会社で働いていました。

当時、たまたまカヌーに出会って乗っていたのですが、ショップのオーナーがカヤックというものもあり動きがあって面白いよと。カヤックに乗ってみたらハマってしまいました。愛知県の豊川や木曽川といった激しい川を下って遊んでいました。

ある時、北海道旅行をしました。たまたまライダーの人と一緒に野宿をしたんです。その後その人から「ある雑誌に載ったから見て」という連絡をもらいました。記事では、「日本1周を目指していたけど時間切れでできなかった」。そんな内容を読んで、自分も感化されました。今ある時間で何ができるのか、を自問しました。ちょうどいいツアーがあったので、ユーコン川に行くことにしたのです。有給休暇と夏休みをあわせて。上司にはさんざん怒られましたけれど(笑)。29歳の時です。

 

森の中で語る加藤さん

―北海道へ移住するきっかけは?

加藤 ユーコン川から戻ってきたころ、仕事や人生にもやもやとしていました。体には帯状疱疹もできるほど。そんなころ、カヤックのインストラクター試験があったのです。4日間の泊まり日程。たまたま相部屋になった人が北海道のラフティングガイドの人でした。その人から、「もやもやしているんだったら、ウチにおいでよ」と。十勝アドベンチャークラブ(TAC)のスタッフでした。それで30歳の時、北海道に移住することにしたのです。なので、ラフティングの操船は十勝で覚えました。

もともとサラリーマンのころは、後にペンションをやりたいなと思っていました。北海道に移住する直前、冬に白馬でペンションの居候をしてみたのです。実際に仕事をしてみると「いやあ、ペンションって大変だなあ」と(笑)。これは自分ではできないなあと思いました。でも、アウトドアガイドになれば、ガイドだったらやっていけるのかなあと。なんとなくのイメージがありました。

 

―なぜ、富良野に?

加藤 妻と知り合い結婚することになって、どこで生活をしようかと拠点を探していました。知人が「ここ富良野はいいところだから、もしよかったら来たら?」と。その富良野の知人の会社を訪問して、冗談で「空き家探しにきたわ」と言いました。すると、隣の机にいたおばさんが「ウチのおじいちゃん家が空いているよ」と。すごくありがたい巡り合わせがあってその家に住むことに。今に至っています(笑)。

 

―仕事のスタート時はどんな状況でしたか?

加藤 ガイド業のスタート時には、自分でパソコンでチラシをつくってホテルやレンタカー屋さんとかに置いてもらいました。初年度はお金もないのでモノクロ印刷。でも、なんとなくお客さまが来てくれて。なんとかやってきました。ちょっとずつ、参加者も増えてきてありがたいことだと思っています。

最近は、スタッフを1人増やしました。ぼくらも家族が増えてきて、会社的にはもうひと超えを目指さなければというところです。新しい展開をつくっていく段階。3年前から森のプログラムも開始しました。「ハイランドふらの」さんの近くの森をお借りして。小学生くらいの子ども向けですが「森の宝探し」と題して、森に住む動植物を探して、生き物つながりで、森と川の生態を案内しています。都会にはない、自然。森と川がつながっていて、かけがえのない水があって、ということを伝えています。

「森は水をたくわえるにはとても重要なんだ」といったことを感じてほしいと思っています。北海道旅行から帰って自分の生活に戻った時に、なんとなく水のことにおもいをはせてもらえたらうれしいなあと。

 

加藤さん

 

―今後の抱負をお聞かせください

加藤 最近、環境教育ということばを聞く機会が増えてきました。ぼくらも自然の中にいて、自然を感じる人間なのでひとつでも知識や知恵を持ち帰ってもらいたい。「ただ楽しい」ということも大切なのですが、楽しめた理由のひとつが、こういうことなんだよということを伝えていきたいと思っています。

今年2019年、48歳になります。10年後もまだカヌーやカヤックを漕げるのかなと(笑)。富良野は花観光が有名ですが、お花には土が必要で、おいしい農作物にはいい土が必要で、とか。いい土には水が必要でと。次の世代の子どもたちに、こういった自然環境に関する話をしていきたい。

世界では水の争奪戦が起きています。身近なところから、自分たちのできることから始めたいと思っています。伝えられて、参加者の行動につながればいいなあと思っています。

 

本文敬称略

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体験プログラムを通して黒松内町の魅力を発信、最終的には移住者を増やしたい〜(一社)黒松内町観光協会ブナ北限の里ツーリズム 事務局長 本間崇文さん

本間崇文さん

(一社)黒松内町観光協会ブナ北限の里ツーリズム 事務局長 本間崇文さん

 

―現在の体験プログラムはどのようなものがありますか?

本間 以前はメニュー数もたくさんやっていたのですが、3年くらい前から絞り込みました。現在、主なものは4つです。ブナ林のガイドウォーク、釣り体験、サイクリング、農業体験、です。最近の人気は釣りですね。日本人はもちろん外国人も参加します。満足度が高いプログラムになっています。

 

―どのあたりが魅力ですか?

本間 朱太川(しゅぶとがわ)がいいのです。この川の源流は太平洋に近いところにあり、43.5キロかけて日本海に注ぎます。ここは黒松内低地帯と呼ばれるところ。標高の高い山の中に行かなくても、上流部の渓流にすっとアクセスできるところがいいところなのです。

支流もたくさんあります。あちこちのポイントに入りやすい、アクセスしやすいということも人気ですね。苔むした岩とかあって渓流の雰囲気は抜群にいい感じなのです。

釣れる魚はヤマメが中心。大きさは15センチ前後が多いでしょうか。基本は釣って、リリースして楽しみます。札幌近郊から参加する人は持ち帰りもします。別途料金で、河原で炭火焼きにして味わうということもやっています。

 

黒松内の朱太川での釣り

 

―そのほかのプログラムは?

本間 サイクリングは町内に整備されたフットパスコースを利用します。短い距離で周遊できる里山サイクリング。ポタリングというぶらぶらしながら町歩きを自転車に乗って楽しむというものです。使用する自転車はクロスバイクを使います。走行距離は20㎞くらいです。

途中、農家さんに寄ったり、カフェに寄ったり。時期が合えば、アスパラやブロッコリーといった収穫もします。リクエストに応じて、街で買い物もします。事前予約が必要ですが、ミシュラン掲載店でランチを楽しんだりします。農業体験は収穫体験が中心です。季節ごとに収穫できる野菜類をアレンジしています。

ブナ林ウォークは定番になりました。黒松内町は国内のブナの北限地帯。いくつかある森の中へ案内しています。

 

サイクリングガイドとしての本間さん

 

―生い立ちをおしえてください?

本間 生まれは小樽市です。幼少期から思春期を宮崎県で過ごし、山口県の大学で経済学部を卒業。学生時代、ピカソの作品を観て魅せられました。本格的に芸術を学ぼうとイギリスの大学に入学して学びました。

卒業後は、リバプールで作家活動をしていました。イギリスには10年間いました。美術とメディアコーディネーターとしてロケ地の紹介などもしていました。ロンドンでは旅行会社でも働き、添乗員もやりました。

当時は、日本人富裕層のイギリス旅行の対応・コーディネートをしていました。今は逆、黒松内にいて海外の富裕層の対応をしています。場所は違いますが、やっていることはさほど変わらないような気がしています(笑)。英語力もイギリス時代に培ったものです。

 

―その後は?

本間 43歳の時、帰国しました。一時、札幌に住んでいましたが、サロベツ湿原でフットパス整備などのスタッフを募集していることを知り豊富町へ移住しました。

豊富時代では、自然の保全活動に勤しんでいました。3年間、自然ガイドの修行時代だったと思います。湿原の植生調査でカヌーに乗って。カヌーも1日15キロくらい漕いで、川を遡上しながら調査やゴミを拾ったりしていました。

 

黒松内観光協会の事務所で本間さん

―移住して何年ですか?

本間 ここ黒松内町に来て2019年で8年目になります。最初、グリーンツーリズム(GT)を振興させるコーディネーターとして移住してきました。GTだけでは部分的な活動にしかならない。そこで、町全体のプロモーションが必要だと考え、当時、観光協会がさほど活発に動いていなかったこともあり、一体化することを提案。2年前、社団法人化になりました。

人材の発掘とか、観光資源の開発とかが主な役目です。わたし自らもガイドをやります。美術をやっていたことで、クリエイティブなことは好きす。その延長線上の観光コンテンツをプロデュースすることも楽しいですね。

 

―今後の抱負をおしえてください

本間 最終的なゴールは黒松内町に滞在してもらうこと。このまちに移住者を増やすことかと思っています。そのためには、まちの暮らしぶりを見る体験を通じて、1週間、1ヶ月となるような滞在を長期化するしかけが必要かと考えています。お試し移住住宅のほかに、空き家を使ってAirbnbなどで貸すなどする構想をしています。

かつて、イギリスでよく見かけましたが、あちらでは一軒家を改修して貸し出すガイドブックがあるのです。たいがいは1週間単位で料金が設定されています。英国では、こういった物件をマネジメントする会社もあります。プロパティマネジメントをしている会社です。

黒松内町観光協会も、地域のDMO(ディスティネーション・マネジメント・オーガニゼーション)としてどこまで貢献できるかわかりませんが、こういったことができる組織にしていきたいと思い描いています。

本文敬称略

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北海道でのもっと濃いエコツアーを追求して、自然の中で新しい遊び方を提供していきたい 〜「ゆっくりずむ北海道」宮川幸史さん

森の中を歩く宮川さん

ゆっくりずむ北海道

宮川幸史(みやかわ・ゆきちか)さん

 

―最近の活動についておしえてください

宮川 「キャンプに興味のある人が増えてきたかな」と感じています。そこで、日帰りでアウトドア空間をおしゃれに楽しむプログラムをメインに実施しています。

札幌市内の中央区に「ニムの森」という会員制の秘密の場所があり、ここでディキャンプのプログラムを提供しています。個人の所有地で10ヘクタールくらいの面積があります。この敷地内の自然を案内しながら散策して歩きます。川が流れていて、焚き火もでき、ツリーハウスもあります。ワインバーみたいなことをやったり、川にイスとテーブルを出して食事やドリンクを楽しみます。

今年2019年からスタートしました。夏も冬も内容を変えて実施します。トレッキングもこの森をベースに開催しています。

 

ゆっくりずむの川バー

 

―地方での活動は?

宮川 4月下旬に、何人かの共同プロジェクトで三笠市に宿泊できる畑の中のレストラン「EKARA(エカラ)」をオープンさせました。BARCOM札幌のシェフを派遣しています。そんなご縁で、三笠のプログラム開発もしています。三笠には桂沢湖があって、幾春別川が流れていて、森もある。また三笠には素敵なワイナリーもあります。そのワイナリーを軸に、ストーリー性のある炭鉱遺産や、ジオパークをつなげて1日楽しめるようなプログラムをつくっています。

細かな部分のツメをして今年、リリースしていきたいと考えています。このプログラムを日本観光振興協会・日本旅行業協会・日本政府観光局が主催する「ジャパン・ツーリズム・アワード」という賞があるのですが、それに応募したいと思っています。このアワードでは、2017・2018年の国内・訪日領域部門で2年連続 当社の「美味しく・楽しく・感じる・地域を繋ぐエコツアー」が入賞を果たしました。

 

―ツアー開発・ガイド以外の仕事も?

宮川 外部アドバイサーを頼まれる仕事も受けてやっています。現在は環境省が進めている国立公園を底上げするプロジェクトがあります。わたしは支笏湖をフィールドとして有識者として会議に参加して、現地のプログラムのアドバイスなどをしています。

エコツアーの要素を盛り込んだものにしたいという意向があるため、わたしに白羽の矢が立ちました。エコツーリズムに理解があり、現場のガイド経験もあり、インバウンド対応できるということで探していくと、あまりいないようなのです。ということで、最近はお声をかけていただくことも増えました。

 

バルコの店の外で宮川さん

―普段はどこにいるのですか?

宮川 札幌市の中央区北2条西2丁目にある地域を愉しむ北海道のBAR「BARCOM札幌」には、週に1〜2回出ていてカウンターでワインなどをサーブしています。接客はガイドの役にもたっています。

ツアーに出ていない時は、下見をしているか、あとは山の仕事などぷらぷらしていますね(笑)。

この週は、中米のコスタリカにツアーで行ってきます。毎年行っているのですが今回はお客さまは2人。12泊のネイチャーツアーです。参加者の嗜好にあわせて現地のアクティビティーを組み立てます。今回はツリーハウスを巡って泊まってきます。冬は、スノーシューツアーが人気があります。インバウンドの冬の撮影ツアーなどでは、道東をアテンドしたりしています。リクエストがあれば地方へも出かけてゆきます。

 

―ガイドにはどうして?

宮川 わたしの実家が石川県の金沢市でアウトドアショップをやっていました。父がアウトドア好きで、山のガイドをやったり海のダイバーをやったり。特にダイビングは、あの地域では第一人者でした。わたしは海はダメですけれど(笑)。

そんな環境で育ったこともあり、21歳の時にアメリカに留学しました。48州、ぐるぐる5周近くキャンプで回りました。その後、中米のスイスと呼ばれるコスタリカでエコツーリズムというものを知りました。知り合いが北海道がいいよ、ということで来て、以来インタープリターとして自然と人との通訳することを生業に、エコツアーを開催してきました。

 

―北海道には何年になりますか?

宮川 来て20年になります。エコツアーに関して言うと、ようやくというか、まだまだですが、伸びしろはあると感じています。自然体験文化というか、アウトドア・エデュケーションというものが、これまで日本にはあまりなかったと思うのです。

しかし、最近、たくさんの外国人旅行者が来るようになり、旅行者のニーズとして顕在化してきたように思います。日本では自然は「守る」という観点で力を入れてきました。それが、「どう活用するか」というものに変わってきたような気がしています。

 

ガイドの未来を語る宮川さん

―今後のアウトドアプログラムの未来は?

宮川 いままで日本に存在していなかった遊び方に注目しています。20年前のラフティングやキャニオニングのようなものです。今は当たり前のプログラムになりましたが、最初は「だれが川をボートで遊ぶんだ」と。これからもまだまだ未知なるものが入ってくると思います。

最近ならSUPがそうですね。あっという間にあちこちに広まりました。こういったものにどう対応するか。この前聞いたものに「ドライキャニオニング」というものがありました。水がない渓谷をロープワークで谷底に下りて遊ぶ。渓谷を上下に移動しながらのプログラム。いろいろとあると思います。

 

―課題はどんなことがありますか?

宮川 若い世代の育成があります。わたしたちがアウトドアガイドを始めた20年前って、この仕事だけではなかなか食べていけなかった時代でした。夏はいけるけど、冬はどうする?と。でも今は状況がだいぶ変わりました。シーズンを通じてガイド業だけでやっていける人が増えてきました。仕事としてネイチャーガイドという選択肢も出てきました。

しかしその一方で「いくらお金をもらえるのですか?」というスタートになっている人もいる。この仕事がやりたいというのではなくて楽だから、という判断で来る人もでてきた。人材不足ではありますが、何のためにこの仕事をしているのか、といった基本的な部分を教えていく必要があると考えています。

人を育て、世代交代していくこと。ぼくらのノウハウやスキルといったものを伝えていける環境を整備していく。そのためにも、現在のツアーももっと濃いものにしていくことが、次なる役割かと思っています。

本文敬称略

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東川町を舞台に持続可能な自然体験活動を行っている「NPO法人大雪山自然学校」代表理事の荒井一洋さん

北海道東川町を舞台に、持続可能な自然体験活動を行っている「NPO法人大雪山自然学校」代表理事の荒井一洋さんにお話しを聞いてきました!

東川のお祭り参加中!

1977年北海道北見市で育った荒井さん。山岳部出身の父親の影響で5歳から登山&山岳スキー&自転車などバリバリのアウトドア生活。幼稚園の時に、オホーツクのサイクリングイベントで父親に背負われて200㎞完走の伝説をつくり(自分で走っていませんが。。。)、6歳の時は、自ら走って完走という幼少時代を過ごしました。

小学生の時に札幌に引っ越して来てからも、家族で支笏湖まで自転車で行ってBBQをしたり、ツールド北海道に市民参加するほど自転車に熱中した少年時代でした。

高校生の時、荒井さんに最初の転機が訪れます。外国人の友人からニュージーランドの話を聞いていて「どうしても世界が見たい!」と、休学してニュージーランドの高校に留学してしまいました。

当初は1年で帰る予定でしたが「ニュージーランドが楽しすぎて。。。札幌の高校を退学して、そのままニュージーランドの高校を卒業しちゃいました」。そして、海外の高校卒業だと日本の高校卒業資格を得られないので、「そのままニュージーランドの大学に入学しちゃいました」。

ニュージーランドの自然や人に魅了された荒井さんは、自然公園・レクレーション・観光学部で国立公園管理を専攻します。「当時の日本では国立公園関係は農学部造園科や生物・生態学=理系ですが、ニュージーランドでは国立公園は人が楽しむところ=レジャーの視点なんですよ」。

仲間達と森の温泉♪

大学時代はレクリエーションマネージメントやツーリズムも学び、ニュージーランドの先住民族「マオリ」のグループに入って、先住民族の大切さを学んだり、「多国籍5人組でシェアハウス生活をしていたので、これが素晴らしい国際交流経験になりました」。

シェアハウスの仲間達

インターンシップでも、世界トップクラスのニュージーランドのラフティングコースでガイド技術を習得したり、バックパッカーが集まる宿で働いたり、ニュージーランドでは貴重な人生経験がたくさんできたそうです。

インターンシップ ラフティングガイド

国立公園管理を卒業した学生の多くはパークレンジャーになっていて、荒井さんも卒業後は日本の環境省に入って、国立公園の自然保護官になりたかったそうです。

「北海道に戻って恩師に相談したところ、NPO法人ねおすを紹介されて、面白そうだったのでボランティアとして関り始めました」。ねおすは、北海道内の自然体験活動や自然体験型環境教育に係わる人材育成などに優れた組織で、荒井さんは、山岳ツアーのガイドや子供キャンプのサポートをして、色々と経験を積んでいきます。

その後、直ぐに荒井さんに運命的な転機が訪れます。

「東川町で旭岳ビジターセンターを拠点とした事業があるんだけど、荒井君やる?」

「やります」と即答!

ねおすに関わり半年で運命の地「東川町」に赴任しました。「旭岳ビジターセンターでは顧客ニーズを知ることができ、ガイドとして旭岳や東川の自然を知ることができ、子供キャンプで住民の人となりや得意を知ることができました」。

旭岳自然保護監視員

そして、地元の皆さんとの交流を通じて、東川町の皆さんと将来を一緒に考えたい、と思うようになった荒井さんは、東川に自然学校を立ち上げる事業計画を書きました。

当時のねおすは道内各地に自然学校を展開していて、ねおすの一事業部として「大雪山自然学校」を立ち上げました。

ねおすに入ってわずか1年後のことです。

「初めは、全く集客出来ませんでしたが、東川町が私達に期待してくれて、環境教育推進事業を依頼してくれて、私達を応援してくれました。東川町の人は本当にいい人ばかりでした。当時の僕はかなりモラトリアムでしたが。。。この地に住んでみて、自分の居場所を探してまわるより、自分の居場所を東川町に作りたいと思ったんです」。

姿見池

そして、荒井さんは東川町に来て1年で定住を決断したのです。

※ねおすは2016年に役目を終え解散。大雪山など各地の自然学校は独立して、現在も各自然学校はお互いに連携する仲間達です。

『自然体験活動を全ての人達へ、そして日常へ』。大雪山自然学校のビジョンです。

大雪山自然学校では、「森のようちえん」をスタートして、子供から大人まで参加できる子供キャンプやエコツアー、そして障害を持った全ての人達も参加できる自然体験活動が日常的にある状態を作っています。

森のようちえん

「つまり“住んで良し”の地域づくりです。これを、観光で訪れた方にお裾分すれば “日常の暮らしの一部” なので誰もが無理なく楽しみながら携われます。住民が生き生き暮らしている町にこそ旅行者は訪れます。 “住んで良し、訪れて良しの町づくり” を目指しています!」。

もう一つは、近年増加している外国人旅行者や、アウトドア好きな人が楽しめるコンテンツを作り、収益化を図り、その収益を地域内で循環させること。「例えば、登山道整備などのアウトドア観光に必要なインフラ整備に活用します。観光インフラに投資をしないと地域の未来はないと思います。お客様もこの取り組みを知れば、きっと私達に共感して、東川町に来てくれると信じています」。

荒井さんは、北海道アドベンチャートラベル協議会の会長として、日本エコツーリズムセンターやアジアエコツーリズムネットワークの活動を通じて、北海道全域の支援も積極的に行っています。

荒井さんの夢は、「高齢者向けシェアハウスを考えています。そして空いた家を貸し出して、高齢者の方が家賃収入を得られる=事業経営者になってもらうんですよ。高齢者の方の経験を活かしてもらって(昔、山の仕事をしていた人は林業体験など)、仕事として森のようちえんで教えてもらっています。高齢者の方は、生きがいも収入も得られ、元気に活動することで、行政の福祉予算も減るし、高齢者の方が手伝ってくれるので、保育士の方も休めて皆が幸せなんです」。

「空き家が活用できれば昔からある家が残り景観も維持できて、地域の価値が高まれば移住者も増えて、そんな魅力的な町に旅行者は来たくなる。そういう循環を東川町に作りたいんです!」。荒井さんは、「僕らが住みたい地域をつくり、自然と価値が高まっていく状態にすること」が、使命だと言います。

荒井さんと一緒に、東川町の暮らしと大雪山国立公園の自然を体感してみませんか?

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支笏湖・積丹でダイビング・クリアカヤックや自然体験ツアーを催行している「オーシャンデイズ」代表の板谷貴文さん

支笏湖・積丹でダイビング・クリアカヤックツアーや支笏洞爺国立公園の自然体験ツアーを催行している「オーシャンデイズ」代表の板谷貴文さん板谷さんにお話しを聞きました!

1978年北海道釧路市生まれの板谷さんは、幼稚園の時「開園以来の問題児」と言われるほどとにかく変わっていたそうです。「人と同じことをするのが嫌いだったみたいで、いつも怒られていました(笑)」。

「家族で朝早く出かけて山菜採って、河原でBBQをするのが好きでした」。外遊びが好きで、自分でプランを作って仲間を引率して遊びに行くのが得意だったそうです。「楽しいことを計画して、皆をまとめて楽しませるのが好きでした」。子供の頃からツアーリーダー的な素質があったのですね。

「近所の焼き鳥屋の親父さんが世界航路のタンカー乗りで、いつも世界中の話を聞いてはワクワクしていました」。いつか冒険したいと、このころから思っていたそうです。

スキューバーダイビングを始めたきっかけは、高校を卒業して働いていた時の友人が、スキューバーダイビングが好きでガイドを目指していて、家に遊びに行くと海中の写真や機材を見せながら熱く語ってくれて興味を持ちました。その友人が事故でスキューバーダイビングを諦めることになってしまい「興味があるなら板谷君に託すよ」と言われ、冒険心に火がついたそうです(その友達は現在、オーシャンデイズの予約管理をお願いしているそうです)。

すぐに仕事先に「夢が出来たので、50万貯めたら辞めさせてください」と宣言して、21歳の時に沖縄のダイビングショップへ行きました。「最初の1年間はひたすら営業です。お客さんを探しに一日多いときは200人ぐらい、ひたすらビーチで観光客に声掛けしていました。。。でもこの経験で営業というかコミュニケーションの重要性が学べました」。

当時は月収3万円、宿はあったが食事なし。半年沖縄・半年北海道に戻ってバイトの生活を3年続けて、24歳の時にハワイでダイビングインストラクターの資格を取得!

「これでやっとスタートラインに立てました」。沖縄で営業からガイド、運営、経理まで事業の仕組みを学んだ板谷さんは、27歳の時、故郷北海道でオーシャンデイズを起業しました。

立上げ当初、お客さんは0人。。。ここは沖縄で培った営業力を活かして、今でいうSNSを駆使して友達を増やしては誘い、ネットワークをひたすら広げて積丹でダイビングツアーを始めました。「でもまだまだ全然食べれないのでバイトの掛け持ちの生活でしたよ(笑)」。その時の仕事で出会ったたくさんの経営者の方から経営学や心理学、人生哲学を学べたことが大きかったと言います。

最初は漠然と「売上月100万ぐらいでいいかなぁ~ぐらいしか考えていなかったのですが、事業とは何か?経営とはなにか?人生の意味や使命を知ることができて、成功哲学を得に海外に行ったり、自らの進むべき道が見えました」。その時の恩師や仲間達が板谷さんの大切な宝人なんですね。

そして縁あって訪れた支笏湖に拠点を構え、移住。新生オーシャンデイズをスタートさせました。

「支笏湖の魅力は住民全員の顔が見えるとこです。住民皆で子育てをする古き良き日本の姿が支笏湖にはあるんです。沖縄に近いと感じました」。

板谷さんと町を歩くと、皆に声を掛けて、どこに行って誰と会ってもとっても仲良しなんです。「飲み会もたくさんあるんですよ(笑)」。

支笏湖は美しい湖と国立公園の自然や高級リゾートホテルも温泉もある北海道有数の人気観光地ですが、板谷さんは「支笏湖はじっくり過ごせば過ごすほど本当に楽しい町なんです。アウトドアや自然体験が人気に思われるけど、町の暮らしそのものが素晴らしい町なんです」と言い切ります。「個性的な住民も多く、その人達との交流を通じた日常の支笏湖生活を体感できるプログラムを創るのが僕の夢なんです」まるで支笏湖が故郷のように思えて、心からくつろげる時間を提供したい。ダイビングやクリアカヤックは手段の一つなんですよ、せっかく支笏湖まで来てくれたのに、アウトドア体験だけじゃもったいないですよ!」。

板谷さんは「一番大切なのは家族」と言います。

「家族が大切だと必然的に自然に繋がって行くと思っています」。そして家族で幸せに暮らす支笏湖にどう貢献出来るのか、オーシャンデイズのスタッフ達の幸せと成長にどう関与できるかが自分の使命だと言います。

水中結婚式♪
オーシャンデイズ自慢のガイド達とSUP

そしてスタッフにはガイドの仕事以外に人生に役に立つ学びの場を常に提供していて、今年は全員で1週間「瞑想」の研修旅行に行くそうです。

「自分達が支笏湖で生き生きと幸せに暮らしていなければ、お客さんを心から楽しますことは出来ないと思います。これってアウトドアガイドスキルより大切なことだと本気で思っています。だって楽しく生きているガイドさんと一緒に遊びたいって思いませんか?」笑顔で言い切る板谷さん。

支笏湖で生き生きと暮らす板谷さん達を一緒に支笏湖を満喫してみませんか?きっと人生観が変わる旅になると思いますよ!

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ニセコで熱気球フライト!北海道ライオンアドベンチャーさん

ニセコで熱気球

ニセコで早朝、カラフルなバルーンに乗って大空から周囲を眺めることができる熱気球フライトが体験できます。

集合はニセコビレッジスキー場の下、ニセコカントリーファームとなりの広場です。予約の段階では「気象条件によっては飛べないこともあるので、催行の決定は当日の朝6時に電話で連絡します」と。

風速4メートル以上では飛行できないので、運行確率としては5〜6割ほどだそう。飛べない場合は返金されます。

取材時は無事に実施されることを告げられ、開場入り。朝6時にはスタッフも集まり、フライトに向けての準備が始まりました。

バルーンに風を送る

朝のすがすがしい空気の中、7人のスタッフが手際よくうごき回り、大きくカラフルな気球が、内部に空気をためこみながら膨らんでいきます。

長さ25メートルはある機体の布を広げ、インフレーターという巨大扇風機で風を中にためこみます。スタッフが入口を大きく開いて懸命に風に耐えていました。

熱気球が立ち上がる

作業を見守る中、約10分。最後はゴーッというガスバーナーによって暖められた空気を送り、気球は無事立ち上がります。

熱気球フライトに乗り込む参加者

さあ、急いで乗り込んで。

パイロットが風の動きを読み取り、スタッフが懸命に乗車カゴを抑えつつ、微風がおさまるタイミングで離陸。

浮かびあがる感覚も少なく、すーっと気がつけばゆっくりと上空へ上っていきます。

北海道ライオンアドベンチャーの熱気球フライト

今回の熱気球体験は係留でのフライト。地上の建物や車に取り付けた4本のロープで安全を保っての飛行体験です。

条件によっては、2回ほど上昇と下降を繰り返したりしてフライトを楽しみます。なにせデリケートな熱気球。風に左右されるのです。

パイロットの下田さん

パイロットが「熱気球がつくる自身の影の部分をよく見てください〜、動いているのがわかりますよ」と。数分後、高さ30メートルほどの上空へ。

落ち着いてあたりを見渡すと、東に羊蹄山、南にニセコアンヌプリ山、西に乗馬クラブ、北には昆布の市街地が見えます。ぐるり360度の文字どおりのパノラマが開け、参加者からは歓声があがります。

熱気球がつくる影

約5分ほどの空中飛行を満喫した後、着陸はちょっと緊張感が高まります。パイロットから「少々、ドンとなりますよ。皆さん、つかまるところをつかまって、ひざを軽くまげておいて、クッションのようにしてくださいね」。

着陸後はすぐさまスタッフがサポートしてくれ、無事にカゴから出て飛行体験が終了です。

 

熱気球をかたづける

飛行が終わった後は、使った機体にさわることもできます。上部の穴部分を大きく空けて空気を抜いてしぼませます。長く細く布をまとめてぐるぐると小さくしていく作業に参加もできるのです。

気球をつくる布部分は重さ約130キログラム。カゴは158キログラムもあり、そこにプロパンボンベ2本を積み、参加者の体重が加わります。熱は温度100℃に暖められた空気を蓄え、これらの重さを持ち上げて飛行するとか。

北海道ライオンアドベンチャーの外観

実施は、北海道ライオンアドベンチャーさん。ラフティングやサイクリングを中心に熱気球も実施。パイロットは同社代表でもある下田伸一さん長野県で修行をして資格を取得。10数年のキャリアがあります。

参加者はニセコに宿泊者はもちろん、札幌からの申し込みも多く、朝4時に出発してくる人も多いとのこと。一度は体験してみたい空中フライト。大きな感動が味わえます。

北海道ライオンアドベンチャーのスタッフ

同社は2006年セゾンクラブのアウトドア部門が独立し、長野県のニセコ支店としてオープンしました。ラフティングからスタートし、川遊びなどのメニューを増やしていきました。その後、サイクリングやトレッキングなど陸の上のメニューが増えていったそうです。

一番人気であり定番は、ラフティング。激しくないのんびりと下る清流川下りはファミリーに人気です。冬はスノーモービルやスノーラフティングもなっています。

北海道ライオンアドベンチャーのベース

下田さんは生まれは東京都。お金を貯めて仕事をやめてカナダへ行きました。北海道へは15年くらい前に、アウトドアで過ごすライフスタイルを求めてやってきました。最初はスキー場で働き、その後ラフティングのガイドへ。2017年完全独立し、(株)北海道ライオンアドベンチャーの代表取締役としてスタッフを束ねています。

アウトドアカンパニーの経営者のほかに、現在は、ニセコ町教育委員会の教育委員やニセコ町商工会の副会長など、公職も多数拝命。ニセコ地区を観光で盛り上げようと飛び回る日々を過ごしています。

 

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札幌近郊でプライベートキャンプや北海道の自然を活かした自然体験ツアーを催行している「DISCOVERIES」代表の弘中祐さん

札幌近郊でプライベートキャンプやシーカヤックなどを使って北海道の自然を活かした自然体験ツアーを催行している「DISCOVERIES」代表の弘中祐さんにお話しを聞いてきました!

1978年北海道生まれ北海道育ちの生粋の道産子である弘中さんは、幼少の頃から自然大好き少年でした。「父親がノーライトデザインという、自ら職人としてシーカヤックを製作する会社を経営していていた影響で、子供の頃から家族旅行はホテルではなくキャンプ三昧でした(笑)」。

札幌市内でも自然環境が素晴らしい西岡水源地の隣に引っ越したのも、子供を自然環境の良いところで育てたかったからだそうです。

カヌーやシーカヤックは小さい時から得意でした

子供の頃からシーカヤックやカヌーに慣れ親しみ、アウトドア生活三昧で育った弘中さんは、キャンプを企画して友達と行くのが楽しかったそうです。「皆の嬉しそうな顔をイメージして、食事などもばっちり準備して、皆が喜ぶ顔を見るのが嬉しかったです」。原点はここにあるようですね。

高校を卒業する時「やりたいことがないのに親に学費を払ってもらうのが申し訳なかった。。。やりたい仕事もイメージできないのに就職するのも入った会社に申し訳なくて。。。」と考えて、社会経験を積みたいと、色々なアルバイトをしたそうです。「アルバイトとはいえ仕事は一生懸命やろう、その中できっと生き方は見つかるだろうと思っていました」。とにかく一生懸命働いた弘中さんには「おかげ様で次から次へと依頼が来て、イベントのバイトでは年上の方々の仕切りまで任されて、良い経験をさせて頂きました」。

仕事を通じて人に何かを教える楽しみを知った弘中さんは「学校の先生になりたい」と、夜学に通い、28歳で中学校の社会科教員になります。「子供に教える教師の仕事は楽しかったです。野外教育指導者の資格もとって、自然を教える授業も楽しかったのですが、どうしても正職員になれなくて。。。」。

36歳の時、今後の人生を深く考えた弘中さんは、「父親の背中を見て、自然の中で過ごしてきた、自分の得意なことを生涯の仕事にしたい!」と、アウトドアガイドになる決心を固め、父親の仕事を手伝いながら準備をし始めました。

父親の跡を継ぐことも考えましたが、「自分は職人タイプではないんです。シーカヤックをメイクできても、新しくクリエイトする力は父親にはかないません。。。自分の使命は、父親の作品を使った楽しいアウトドアツアーを行うことだと思いました」。

そうして2017年、子供の頃から友達を引き連れ、全道各地の山~川~海まで、遊びやキャンプを企画して仕切っていた経験を活かしたプライベートツアーを催行する「DISCOVERIES」を創業しました。

コンセプトは「毎年会いに行く北海道のお兄さんになりたかったんです。家族旅行で来た小さな子供が大きくなっても、北海道旅行だけはあなたに会いたくて一緒に来るんですよ、って言ってもらえるような、ガイドになりたいです」。

「今まで道産子として経験してきた楽しいことを、新しく見つけたフィールドなどもフル活用して、色々な想いと期待を胸に北海道を訪れるお客様の、想像を超えるツアーを提供したいです」。実際にお客様を案内して、地元の当たり前なことをお客様が凄く喜んでくれるのを見て、もっともっとできることが見えてきたそうです。

キャンププランの料理は見栄えもこだわっています

 

「北海道にはまだまだ知られていないフィールドも遊び方もあります。僕はそれをカタチにして、お客様の想像を超える感動を味わって頂くお手伝いをしたいんです」。オーダーメイドの外遊びを探求し続けるオールラウンドプレイヤーの弘中さん、今後の活躍に増々期待です!

☆弘中さんイチオシ、シーカヤックとハイキングの1Dayツアーはコチラ☆

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☆DISCOVERIESのツアー一覧はコチラ☆

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白老町でアイヌの知恵と文化を体感する「ネオ・フォーク」ガイドツアー 白老観光協会

ネオ・フォークツアー

白老町のポロト湖畔にアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」のオープンが1年後と迫りました。

一足先に、アイヌ文化を体感できる新しいプログラムがスタート。ポロトの森を舞台にアイヌの知恵と文化を感じて、食文化も楽しめるツアーがあります。

 

白老ポロトの森キャンプ場

集合は「白老ふるさと2000年ポロトの森キャンプ場」。ビジターセンター裏に新設されたトレーラーハウスが受付です。車で移動してツアーがスタート。

コースはポロト湖に沿う遊歩道、約2キロをゆっくり歩きます。森林浴を感じながら道を進むとキハダの木がありました。

キハダはアイヌ語で「シケレペニ」と呼ばれ、アイヌの中では、黒い果実に苦味があることから煎じて胃の薬として服用されてきたこと。内皮をやけどなどの病気に使ってきたことなどを教わります。

ハリギリ、アユシニの木

ハリギリの木は「他の木に比べて成長が早く、丸木船や臼、杵、鉢といった大型の生活用具をつくる材料になります」とガイドの説明。

ミズバショウが生える場所には湧き水があり、ここにエゾシカやタヌキ・キツネといった動物たちが集まるという野生を感じます。

トドマツの樹液をさわってみたり、野草を摘んでみたり。季節ごとにあまり知られていない自然の恵みを教わり体感します。

 

ツアーは出発地点にもどって一休み。イタヤカエデの樹液を使ったオハウという温かい汁物を味わいます。

わたしたちが普段見逃している食材を、アイヌの人たちが伝統的に使ってきた知恵を実際に味見ができます。

 

ガイドの手塚日南人さん

ガイドは白老町の地域おこし協力隊、手塚日南人(てづか・ひなと)さん。横浜市出身。高校1年生の時、早稲田塾とFASIDが共催の国際開発プログラムに参加した時から自然やエコツーリズム、先住民族などについて関心を持っていました。当時はSDGsを達成するための政治的運動にも参加していました。

早稲田大学国際教養学部に入学。学生時代にはスペインに留学。留学中、800年に渡るイスラム教徒の支配を経て多民族の文化が融合していく中で表出された芸術や文学を学んでいました。

それとは別で知人を通じて自然農についてや、スペインにおける有機栽培の普及、ビーガニズム、Podemosという第3政治勢力の動き、セクシャルマイノリティーの社会的地位についてなどフィールドワークをしていました。

手塚日南人さん

手塚さんはスペイン留学の後、エコビレッジやベンチャー企業などでインターンシップをしつつ、音楽活動を通じた新しい生き方を模索・発信。

たまたま友達に誘われた東京のアイヌ居酒屋でカルチャーショックを受けます。約半年後、知人を通じて白老町でポロトの森の森林ガイド担当の協力隊募集があることを知り、すぐさま応募したそうです。

まちの人たちから伝統などを学びプログラム化。「森は天然の冷蔵庫」と、狩猟採取民族の文化を今に伝えることを通じて、この地に生きる人たちとの交流機会を提供しています。

 

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「人生で大切なことは馬が教えてくれます」札幌のピリカの丘牧場の渡辺真帆さん

札幌で馬を中心とした暮らしの型を実践している「ピリカの丘牧場」で、ファシリテーターをしている、渡辺真帆さんにお会いしてお話しを聞いてきました!

1993年、イギリスで生まれた渡辺さん。一度日本に戻るものの、小学生から再びイギリスへ。小学校2年生の時に乗馬クラブに入ったのが馬との出会いでした。「イギリスでは乗馬はピアノを習う感覚なんです」。

イギリスで乗馬を始めた頃

乗馬が楽しくなってきた時、「馬と話す男」の著者、モンティ・ロバーツ氏のデモンストレーションを見て衝撃を受け、将来は馬に携わる仕事をしたいと思い始めたそうです。モンティ・ロバーツ氏は、ホースウィスパラー と世界中の人から呼ばれていて、従来の馬業界の多くは、鞭などの調教器具を使って恐怖によって馬の意思を殺して調教する方法が主流の時代、馬の群れを観察する中で、暴力を使わずにボディーランゲージを使って馬と信頼関係を導く方法(ジョインアップ)を編み出した方です。「馬と信頼関係を築いてコミュニケーションがとれるようになると、どんどん馬が好きになってきました」。

犬は人を個体認識して主従関係が成立しているが、馬と人は違うそうです。「限りなく個体認識に近いのですが“こういう動きをする物体”として認識してて、馬は同じ人でもその人のその時々の状態や感情の変化で人への認識は変わってしまうんです。今の自分自身の状態を馬が教えてくれるんです」。

どんどん馬が好きになった渡辺さんですが、小学校6年生の時に再度日本へ戻ります。「子供心に逆カルチャーショックといいますか、イギリス人になってしまっていたのか、皆から帰国子女だと言われ続けて、日本人が理解できなくなってしまいました。。。」。見かねた両親が、日本に帰ってからも乗馬をさせてくれたのが、渡辺さんの心を救いました。「今思うと、馬は人を差別しないし、人の国籍や人のバックグランドなど関係なく、ちゃんと接すればちゃんとコミュニケーションがとれるんです」。馬とのコミュニケーション、馬の癒し・セラピー力が渡辺さんを立ち直らせてくれたそうです。ただ、イギリスで馬とのコミュニケーションの大切さを学んだ渡辺さんは、日本の馬をオペレートするスタイルの乗馬にはとまどったそうです。。。

競技にも出始めていた渡辺さんですが、中三の時に家庭の事情で乗馬を断念。。。目標を見失い、とにかく英語を極めようと猛勉強。「馬がなくなり自分の取り柄が無くなるのが怖かったんです」。その結果、高校時代に何回もTOEICで満点を採ったり、エッセーコンテスト、スピーチコンテスト、英語ディベートのサークルを立ち上げたり、英語どっぷりの高校生活でした。

「英語で世界の人とコミュニケーションを取ることは、馬とのコミュニケーションの取り方と似ていると思いました」。先入観とか個人の価値観を取っ払って、異文化コミュニケーションに必要なのは「相手の話を聞いて理解しようとする」ことで、渡辺さんが馬から学んだことでした。

アルバイトで子供に英語を教えていた渡辺さんは、日本の英語教育の問題を感じるようになり、上智大学の英語学科に進学。授業で面白かったのは批判応用言語学。「簡単に言えば応用言語学は英語の教え方、今の英語教育の手法でしょうか。批判応用言語学は“Aを教えてもBにならない”その背景には社会的な問題、文化的な背景、その国の施策によって違いが出ます。帰国子女のアイデンティティの問題、移民の問題など、表面的なことを見るだけではく、その背景を理解する必要があることを学びました」。

海外インターンシップ事業を運営する学生団体にも参加して活動を通じてリーダーシップを学び、渡辺さん自身もインドネシアで1年間インターンシップに行きました。「お互いの国で働けば相互理解が進んで国と国との争いごともなくなると思います。とても学びが多く充実した学生活動でした」。

インドネシアでのインターンシップ

学生時代、授業や異文化コミュニケーションを通じて、日本の教育改革に興味を持った渡辺さんは「私は大学まで教育を受けてきましたが、それ以外の教育は知らないんです。もっと世界の教育現場を知らなければ教育は変えられない」と思い、卒業後は70年代に『社会起業』の定義を生み、社会を変革する個人を発掘し輩出する仕組みから成るグローバル組織に入社しました。

教育現場をどうすれば、社会を変えられる人材を育成できるかを徹底的に調査する日々。世の中の先進的な取り組みに触れて、チャレンジしている人との出会は、渡辺さんを大きく刺激しました。

充実した活動でしたが、休みを取ってモンゴル旅行に行ったとき一大転機が訪れます。

きっかけをくれたモンゴル旅行

モンゴルでは久しぶりの馬との旅、一日中馬で旅をします。半野生馬のようなモンゴルの馬とは最初全然コミュニケーションが取れませんでした。。。

モンゴルでは一日中馬と一緒

でもどんどんコミュニケーションがとれるようになった時「私の人生で大切なことは全て馬から学んで来たのでは?」と気付きました。大学の授業も学生時代に参加していたインターンシップ事業も、就職した団体でも、教育も異文化交流も、人と人とは文化やパックグラウンドの違いを理解する力がなければ、コミュニケーションがとれない。いつまでたっても分かり合えずに変わることができない。「これって私は馬から学んで来た事では?」。

実際にやってみたい!フィールドで活動してみたい!と思った時に見つけてのが「ピリカの丘牧場」を運営している株式会社COASでした。しかもCOASのアドバイザーが尊敬するホース・ウィスパラー、モンティ・ロバーツのお弟子さんだったのです!運命を感じた渡辺さんは即入社を決意!

「子供の頃、馬から教わって馬に救われたこと、学生時代に学んだこと、社会に出て思ったこと、これを解決できるのは馬なのではないか?今までの人生が一つに繋がりました」。

そして、2018年6月に北海道のピリカの丘の牧場へ配属!ピリカの丘牧場は一般的な乗馬体験から、馬との暮らしから学べるプログラムが充実している。

ピリカの丘牧場で充実した日々

「馬と暮らす体験では、馬とのコミュニケーションの取り方を通じて自己認識・自己理解ができて、自分にとって大切なことが気付くことが出来ます。ここでは馬が先生なんです!」。大企業の経営幹部研修にも取り入れられているプログラムですが、子供も自分より大きい動物と信頼関係を築き、コミュニケーションが取れると自信になります。

「お馬さんはカワイイですし、乗馬も楽しいですが、時間があれば、馬との暮らし体験も経験して欲しいです。是非、馬先生に会いに来てください!」。人生で大切なことは馬先生から教わったという渡辺さんと馬先生に会いに来てみませんか?

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