宿&自然生活体験センター 冒険家族の阿南敬三さん。ニセコの自然と共に暮らす「ニセコ自然体験の達人」にお話しを聞いてみました。

1954人年大分生まれの阿南さんの故郷は、山を2~3越えて行かないとお店がない80軒ほどの小さな集落。「実家は農家で、ほぼ自給自足の生活でした」。
電気は来ていたそうですが、夜の外出時は提灯、水汲みや山で野草を採ったり、五右衛門風呂の火起こしは子供の仕事と、今の冒険家族で行われている様々な自然生活体験は少年時代の阿南さんの日常でした。
当時の子供には農繁休暇(農作業が忙しい時は学校を休める)もあり、「とにかく日々農業を手伝い、家畜の牛の散歩が毎日の日課でした(笑)」。中学生の時、親が農業を辞めて、家族で兵庫に移住して高校卒業後、大阪の専門学校に入りましたが、事故で1年間入院生活。。。「人の人生、何が起きるかわからない、もっとちゃんと生きよう」と決心して夜学に通いながら、地元の子供達を野山に連れて行って自然体験をするボランティア活動を始めました。
大分で過ごした少年時代の「日常」が、大阪の保育所や学童保育の子供達の自然体験活動に大いに役立ちました。「今は子供達の自然体験活動は各地で盛んですが、当時は全国でも珍しかったと思いますよ」。このボランティア組織は「アドベンチャーファミリー」と言い、今の「冒険家族」の語源になっています。
15年ほどボランティア活動を続けましたが、日増しに新天地で新しい冒険をしたい欲求にかられて、自分の理想郷を探すようになった阿南さんは「どうせなら知り合いが1人もいない場所でやりたい」と考えていた時、「北海道で廃校を利用した施設の記事を見て、これだ!と思って北海道に来て各地を探し回りました」。
そこで出会ったのがスキーで有名なニセコエリアの倶知安町にある廃校でした。しかし既に取り壊しが決まっていてどうにもなりませんでした。。。どうしても諦めきれなかった阿南さんは初めて訪れた倶知安町で知り合った地元の方に相談すると「皆さんが僕の想いに共感してくれて、役場に掛け合ってくれて、廃校を貸してくれることになりました!」。
移住者が多いこの町ならではなのでしょうか?皆で後押ししてくれたそうです。当時は「自然体験」という言葉に馴染みもなく、1936年築の校舎は窓も割れ、雨漏りもひどくボロボロ。。。「ニセコはスキーが盛んで、夏は学生のスポーツ合宿で賑わっていたので、なんとかなるだろう」。と持ち前の冒険心で家族と共に移住。

半年かけて自力で改修して、1993年、宿泊と自然体験の「自然体験場 冒険家族」をオープンしました。廃校を利用して「自然体験活動」を始めた変わった移住者がいる、という話題性でマスコミが取り上げてくれたことが宣伝になり、大阪での経験を活かした自然体験活動や農業体験は、札幌市内の多くの学童クラブの子供達が来てくれるようになりました。
「僕はニセコの大自然を有難く使わせてもらっています。自然って本当に奥が深いんです。是非体感して欲しい、それを伝えるのが僕の役目です。川の中には石があって、藻が生えていて、魚がいて、じゃぶんと入って魚を捕まえようとすると、魚ってこんなにすばしっこいんだと分かったり、森に入れば、日々刻刻と変化する北海道特有の自然を体感できたり、自然の恵みを取り入れた暮らし体験ができるのもニセコの良いところだと思います」。
自然の中で心に残る経験を学ぶ楽しさを、自然体験活動を通じて冒険家族では伝えていきたいと阿南さんは言います。「倶知安に来て30数年、ニセコの大自然から教わったことを、これからも皆さんに伝え続けていきたい」。
阿南さんの冒険に終わりはありません。ニセコを知り尽くした伝道師、阿南さんが案内する自然体験活動に、参加してみませんか!