カテゴリー別アーカイブ: ガイドという生き方

東川町を舞台に持続可能な自然体験活動を行っている「NPO法人大雪自然学校」代表理事の荒井一洋さん

北海道東川町を舞台に、持続可能な自然体験活動を行っている「NPO法人大雪自然学校」代表理事の荒井一洋さんにお話しを聞いてきました!

東川のお祭り参加中!

1977年北海道北見市で育った荒井さん。山岳部出身の父親の影響で5歳から登山&山岳スキー&自転車などバリバリのアウトドア生活。幼稚園の時に、オホーツクのサイクリングイベントで父親に背負われて200㎞完走の伝説をつくり(自分で走っていませんが。。。)、6歳の時は、自ら走って完走という幼少時代を過ごしました。

小学生の時に札幌に引っ越して来てからも、家族で支笏湖まで自転車で行ってBBQをしたり、ツールド北海道に市民参加するほど自転車に熱中した少年時代でした。

高校生の時、荒井さんに最初の転機が訪れます。外国人の友人からニュージーランドの話を聞いていて「どうしても世界が見たい!」と、休学してニュージーランドの高校に留学してしまいました。

当初は1年で帰る予定でしたが「ニュージーランドが楽しすぎて。。。札幌の高校を退学して、そのままニュージーランドの高校を卒業しちゃいました」。そして、海外の高校卒業だと日本の高校卒業資格を得られないので、「そのままニュージーランドの大学に入学しちゃいました」。

ニュージーランドの自然や人に魅了された荒井さんは、自然公園・レクレーション・観光学部で国立公園管理を専攻します。「当時の日本では国立公園関係は農学部造園科や生物・生態学=理系ですが、ニュージーランドでは国立公園は人が楽しむところ=レジャーの視点なんですよ」。

仲間達と森の温泉♪

大学時代はレクリエーションマネージメントやツーリズムも学び、ニュージーランドの先住民族「マオリ」のグループに入って、先住民族の大切さを学んだり、「多国籍5人組でシェアハウス生活をしていたので、これが素晴らしい国際交流経験になりました」。

シェアハウスの仲間達

インターンシップでも、世界トップクラスのニュージーランドのラフティングコースでガイド技術を習得したり、バックパッカーが集まる宿で働いたり、ニュージーランドでは貴重な人生経験がたくさんできたそうです。

インターンシップ ラフティングガイド

国立公園管理を卒業した学生の多くはパークレンジャーになっていて、荒井さんも卒業後は日本の環境省に入って、国立公園の自然保護官になりたかったそうです。

「北海道に戻って恩師に相談したところ、NPO法人ねおすを紹介されて、面白そうだったのでボランティアとして関り始めました」。ねおすは、北海道内の自然体験活動や自然体験型環境教育に係わる人材育成などに優れた組織で、荒井さんは、山岳ツアーのガイドや子供キャンプのサポートをして、色々と経験を積んでいきます。

その後、直ぐに荒井さんに運命的な転機が訪れます。

「東川町で旭岳ビジターセンターを拠点とした事業があるんだけど、荒井君やる?」

「やります」と即答!

ねおすに関わり半年で運命の地「東川町」に赴任しました。「旭岳ビジターセンターでは顧客ニーズを知ることができ、ガイドとして旭岳や東川の自然を知ることができ、子供キャンプで住民の人となりや得意を知ることができました」。

旭岳自然保護監視員

そして、地元の皆さんとの交流を通じて、東川町の皆さんと将来を一緒に考えたい、と思うようになった荒井さんは、東川に自然学校を立ち上げる事業計画を書きました。

当時のねおすは道内各地に自然学校を展開していて、ねおすの一事業部として「大雪山自然学校」を立ち上げました。

ねおすに入ってわずか1年後のことです。

「初めは、全く集客出来ませんでしたが、東川町が私達に期待してくれて、環境教育推進事業を依頼してくれて、私達を応援してくれました。東川町の人は本当にいい人ばかりでした。当時の僕はかなりモラトリアムでしたが。。。この地に住んでみて、自分の居場所を探してまわるより、自分の居場所を東川町に作りたいと思ったんです」。

姿見池

そして、荒井さんは東川町に来て1年で定住を決断したのです。

※ねおすは2016年に役目を終え解散。大雪山など各地の自然学校は独立して、現在も各自然学校はお互いに連携する仲間達です。

『自然体験活動を全ての人達へ、そして日常へ』。大雪山自然学校のビジョンです。

大雪山自然学校では、「森のようちえん」をスタートして、子供から大人まで参加できる子供キャンプやエコツアー、そして障害を持った全ての人達も参加できる自然体験活動が日常的にある状態を作っています。

森のようちえん

「つまり“住んで良し”の地域づくりです。これを、観光で訪れた方にお裾分すれば “日常の暮らしの一部” なので誰もが無理なく楽しみながら携われます。住民が生き生き暮らしている町にこそ旅行者は訪れます。 “住んで良し、訪れて良しの町づくり” を目指しています!」。

もう一つは、近年増加している外国人旅行者や、アウトドア好きな人が楽しめるコンテンツを作り、収益化を図り、その収益を地域内で循環させること。「例えば、登山道整備などのアウトドア観光に必要なインフラ整備に活用します。観光インフラに投資をしないと地域の未来はないと思います。お客様もこの取り組みを知れば、きっと私達に共感して、東川町に来てくれると信じています」。

荒井さんは、北海道アドベンチャートラベル協議会の会長として、日本エコツーリズムセンターやアジアエコツーリズムネットワークの活動を通じて、北海道全域の支援も積極的に行っています。

荒井さんの夢は、「高齢者向けシェアハウスを考えています。そして空いた家を貸し出して、高齢者の方が家賃収入を得られる=事業経営者になってもらうんですよ。高齢者の方の経験を活かしてもらって(昔、山の仕事をしていた人は林業体験など)、仕事として森のようちえんで教えてもらっています。高齢者の方は、生きがいも収入も得られ、元気に活動することで、行政の福祉予算も減るし、高齢者の方が手伝ってくれるので、保育士の方も休めて皆が幸せなんです」。

「空き家が活用できれば昔からある家が残り景観も維持できて、地域の価値が高まれば移住者も増えて、そんな魅力的な町に旅行者は来たくなる。そういう循環を東川町に作りたいんです!」。荒井さんは、「僕らが住みたい地域をつくり、自然と価値が高まっていく状態にすること」が、使命だと言います。

荒井さんと一緒に、東川町の暮らしと大雪山国立公園の自然を体感してみませんか?

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支笏湖・積丹でダイビング・クリアカヤックや自然体験ツアーを催行している「オーシャンデイズ」代表の板谷貴文さん

支笏湖・積丹でダイビング・クリアカヤックツアーや支笏洞爺国立公園の自然体験ツアーを催行している「オーシャンデイズ」代表の板谷貴文さん板谷さんにお話しを聞きました!

1978年北海道釧路市生まれの板谷さんは、幼稚園の時「開園以来の問題児」と言われるほどとにかく変わっていたそうです。「人と同じことをするのが嫌いだったみたいで、いつも怒られていました(笑)」。

「家族で朝早く出かけて山菜採って、河原でBBQをするのが好きでした」。外遊びが好きで、自分でプランを作って仲間を引率して遊びに行くのが得意だったそうです。「楽しいことを計画して、皆をまとめて楽しませるのが好きでした」。子供の頃からツアーリーダー的な素質があったのですね。

「近所の焼き鳥屋の親父さんが世界航路のタンカー乗りで、いつも世界中の話を聞いてはワクワクしていました」。いつか冒険したいと、このころから思っていたそうです。

スキューバーダイビングを始めたきっかけは、高校を卒業して働いていた時の友人が、スキューバーダイビングが好きでガイドを目指していて、家に遊びに行くと海中の写真や機材を見せながら熱く語ってくれて興味を持ちました。その友人が事故でスキューバーダイビングを諦めることになってしまい「興味があるなら板谷君に託すよ」と言われ、冒険心に火がついたそうです(その友達は現在、オーシャンデイズの予約管理をお願いしているそうです)。

すぐに仕事先に「夢が出来たので、50万貯めたら辞めさせてください」と宣言して、21歳の時に沖縄のダイビングショップへ行きました。「最初の1年間はひたすら営業です。お客さんを探しに一日多いときは200人ぐらい、ひたすらビーチで観光客に声掛けしていました。。。でもこの経験で営業というかコミュニケーションの重要性が学べました」。

当時は月収3万円、宿はあったが食事なし。半年沖縄・半年北海道に戻ってバイトの生活を3年続けて、24歳の時にハワイでダイビングインストラクターの資格を取得!

「これでやっとスタートラインに立てました」。沖縄で営業からガイド、運営、経理まで事業の仕組みを学んだ板谷さんは、27歳の時、故郷北海道でオーシャンデイズを起業しました。

立上げ当初、お客さんは0人。。。ここは沖縄で培った営業力を活かして、今でいうSNSを駆使して友達を増やしては誘い、ネットワークをひたすら広げて積丹でダイビングツアーを始めました。「でもまだまだ全然食べれないのでバイトの掛け持ちの生活でしたよ(笑)」。その時の仕事で出会ったたくさんの経営者の方から経営学や心理学、人生哲学を学べたことが大きかったと言います。

最初は漠然と「売上月100万ぐらいでいいかなぁ~ぐらいしか考えていなかったのですが、事業とは何か?経営とはなにか?人生の意味や使命を知ることができて、成功哲学を得に海外に行ったり、自らの進むべき道が見えました」。その時の恩師や仲間達が板谷さんの大切な宝人なんですね。

そして縁あって訪れた支笏湖に拠点を構え、移住。新生オーシャンデイズをスタートさせました。

「支笏湖の魅力は住民全員の顔が見えるとこです。住民皆で子育てをする古き良き日本の姿が支笏湖にはあるんです。沖縄に近いと感じました」。

板谷さんと町を歩くと、皆に声を掛けて、どこに行って誰と会ってもとっても仲良しなんです。「飲み会もたくさんあるんですよ(笑)」。

支笏湖は美しい湖と国立公園の自然や高級リゾートホテルも温泉もある北海道有数の人気観光地ですが、板谷さんは「支笏湖はじっくり過ごせば過ごすほど本当に楽しい町なんです。アウトドアや自然体験が人気に思われるけど、町の暮らしそのものが素晴らしい町なんです」と言い切ります。「個性的な住民も多く、その人達との交流を通じた日常の支笏湖生活を体感できるプログラムを創るのが僕の夢なんです」まるで支笏湖が故郷のように思えて、心からくつろげる時間を提供したい。ダイビングやクリアカヤックは手段の一つなんですよ、せっかく支笏湖まで来てくれたのに、アウトドア体験だけじゃもったいないですよ!」。

板谷さんは「一番大切なのは家族」と言います。

「家族が大切だと必然的に自然に繋がって行くと思っています」。そして家族で幸せに暮らす支笏湖にどう貢献出来るのか、オーシャンデイズのスタッフ達の幸せと成長にどう関与できるかが自分の使命だと言います。

水中結婚式♪
オーシャンデイズ自慢のガイド達とSUP

そしてスタッフにはガイドの仕事以外に人生に役に立つ学びの場を常に提供していて、今年は全員で1週間「瞑想」の研修旅行に行くそうです。

「自分達が支笏湖で生き生きと幸せに暮らしていなければ、お客さんを心から楽しますことは出来ないと思います。これってアウトドアガイドスキルより大切なことだと本気で思っています。だって楽しく生きているガイドさんと一緒に遊びたいって思いませんか?」笑顔で言い切る板谷さん。

支笏湖で生き生きと暮らす板谷さん達を一緒に支笏湖を満喫してみませんか?きっと人生観が変わる旅になると思いますよ!

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ニセコで熱気球フライト!北海道ライオンアドベンチャーさん

ニセコで熱気球

ニセコで早朝、カラフルなバルーンに乗って大空から周囲を眺めることができる熱気球フライトが体験できます。

集合はニセコビレッジスキー場の下、ニセコカントリーファームとなりの広場です。予約の段階では「気象条件によっては飛べないこともあるので、催行の決定は当日の朝6時に電話で連絡します」と。

風速4メートル以上では飛行できないので、運行確率としては5〜6割ほどだそう。飛べない場合は返金されます。

取材時は無事に実施されることを告げられ、開場入り。朝6時にはスタッフも集まり、フライトに向けての準備が始まりました。

バルーンに風を送る

朝のすがすがしい空気の中、7人のスタッフが手際よくうごき回り、大きくカラフルな気球が、内部に空気をためこみながら膨らんでいきます。

長さ25メートルはある機体の布を広げ、インフレーターという巨大扇風機で風を中にためこみます。スタッフが入口を大きく開いて懸命に風に耐えていました。

熱気球が立ち上がる

作業を見守る中、約10分。最後はゴーッというガスバーナーによって暖められた空気を送り、気球は無事立ち上がります。

熱気球フライトに乗り込む参加者

さあ、急いで乗り込んで。

パイロットが風の動きを読み取り、スタッフが懸命に乗車カゴを抑えつつ、微風がおさまるタイミングで離陸。

浮かびあがる感覚も少なく、すーっと気がつけばゆっくりと上空へ上っていきます。

北海道ライオンアドベンチャーの熱気球フライト

今回の熱気球体験は係留でのフライト。地上の建物や車に取り付けた4本のロープで安全を保っての飛行体験です。

条件によっては、2回ほど上昇と下降を繰り返したりしてフライトを楽しみます。なにせデリケートな熱気球。風に左右されるのです。

パイロットの下田さん

パイロットが「熱気球がつくる自身の影の部分をよく見てください〜、動いているのがわかりますよ」と。数分後、高さ30メートルほどの上空へ。

落ち着いてあたりを見渡すと、東に羊蹄山、南にニセコアンヌプリ山、西に乗馬クラブ、北には昆布の市街地が見えます。ぐるり360度の文字どおりのパノラマが開け、参加者からは歓声があがります。

熱気球がつくる影

約5分ほどの空中飛行を満喫した後、着陸はちょっと緊張感が高まります。パイロットから「少々、ドンとなりますよ。皆さん、つかまるところをつかまって、ひざを軽くまげておいて、クッションのようにしてくださいね」。

着陸後はすぐさまスタッフがサポートしてくれ、無事にカゴから出て飛行体験が終了です。

 

熱気球をかたづける

飛行が終わった後は、使った機体にさわることもできます。上部の穴部分を大きく空けて空気を抜いてしぼませます。長く細く布をまとめてぐるぐると小さくしていく作業に参加もできるのです。

気球をつくる布部分は重さ約130キログラム。カゴは158キログラムもあり、そこにプロパンボンベ2本を積み、参加者の体重が加わります。熱は温度100℃に暖められた空気を蓄え、これらの重さを持ち上げて飛行するとか。

北海道ライオンアドベンチャーの外観

実施は、北海道ライオンアドベンチャーさん。ラフティングやサイクリングを中心に熱気球も実施。パイロットは同社代表でもある下田伸一さん長野県で修行をして資格を取得。10数年のキャリアがあります。

参加者はニセコに宿泊者はもちろん、札幌からの申し込みも多く、朝4時に出発してくる人も多いとのこと。一度は体験してみたい空中フライト。大きな感動が味わえます。

北海道ライオンアドベンチャーのスタッフ

同社は2006年セゾンクラブのアウトドア部門が独立し、長野県のニセコ支店としてオープンしました。ラフティングからスタートし、川遊びなどのメニューを増やしていきました。その後、サイクリングやトレッキングなど陸の上のメニューが増えていったそうです。

一番人気であり定番は、ラフティング。激しくないのんびりと下る清流川下りはファミリーに人気です。冬はスノーモービルやスノーラフティングもなっています。

北海道ライオンアドベンチャーのベース

下田さんは生まれは東京都。お金を貯めて仕事をやめてカナダへ行きました。北海道へは15年くらい前に、アウトドアで過ごすライフスタイルを求めてやってきました。最初はスキー場で働き、その後ラフティングのガイドへ。2017年完全独立し、(株)北海道ライオンアドベンチャーの代表取締役としてスタッフを束ねています。

アウトドアカンパニーの経営者のほかに、現在は、ニセコ町教育委員会の教育委員やニセコ町商工会の副会長など、公職も多数拝命。ニセコ地区を観光で盛り上げようと飛び回る日々を過ごしています。

 

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札幌近郊でプライベートキャンプや北海道の自然を活かした自然体験ツアーを催行している「DISCOVERIES」代表の弘中祐さん

札幌近郊でプライベートキャンプやシーカヤックなどを使って北海道の自然を活かした自然体験ツアーを催行している「DISCOVERIES」代表の弘中祐さんにお話しを聞いてきました!

1978年北海道生まれ北海道育ちの生粋の道産子である弘中さんは、幼少の頃から自然大好き少年でした。「父親がノーライトデザインという、自ら職人としてシーカヤックを製作する会社を経営していていた影響で、子供の頃から家族旅行はホテルではなくキャンプ三昧でした(笑)」。

札幌市内でも自然環境が素晴らしい西岡水源地の隣に引っ越したのも、子供を自然環境の良いところで育てたかったからだそうです。

カヌーやシーカヤックは小さい時から得意でした

子供の頃からシーカヤックやカヌーに慣れ親しみ、アウトドア生活三昧で育った弘中さんは、キャンプを企画して友達と行くのが楽しかったそうです。「皆の嬉しそうな顔をイメージして、食事などもばっちり準備して、皆が喜ぶ顔を見るのが嬉しかったです」。原点はここにあるようですね。

高校を卒業する時「やりたいことがないのに親に学費を払ってもらうのが申し訳なかった。。。やりたい仕事もイメージできないのに就職するのも入った会社に申し訳なくて。。。」と考えて、社会経験を積みたいと、色々なアルバイトをしたそうです。「アルバイトとはいえ仕事は一生懸命やろう、その中できっと生き方は見つかるだろうと思っていました」。とにかく一生懸命働いた弘中さんには「おかげ様で次から次へと依頼が来て、イベントのバイトでは年上の方々の仕切りまで任されて、良い経験をさせて頂きました」。

仕事を通じて人に何かを教える楽しみを知った弘中さんは「学校の先生になりたい」と、夜学に通い、28歳で中学校の社会科教員になります。「子供に教える教師の仕事は楽しかったです。野外教育指導者の資格もとって、自然を教える授業も楽しかったのですが、どうしても正職員になれなくて。。。」。

36歳の時、今後の人生を深く考えた弘中さんは、「父親の背中を見て、自然の中で過ごしてきた、自分の得意なことを生涯の仕事にしたい!」と、アウトドアガイドになる決心を固め、父親の仕事を手伝いながら準備をし始めました。

父親の跡を継ぐことも考えましたが、「自分は職人タイプではないんです。シーカヤックをメイクできても、新しくクリエイトする力は父親にはかないません。。。自分の使命は、父親の作品を使った楽しいアウトドアツアーを行うことだと思いました」。

そうして2017年、子供の頃から友達を引き連れ、全道各地の山~川~海まで、遊びやキャンプを企画して仕切っていた経験を活かしたプライベートツアーを催行する「DISCOVERIES」を創業しました。

コンセプトは「毎年会いに行く北海道のお兄さんになりたかったんです。家族旅行で来た小さな子供が大きくなっても、北海道旅行だけはあなたに会いたくて一緒に来るんですよ、って言ってもらえるような、ガイドになりたいです」。

「今まで道産子として経験してきた楽しいことを、新しく見つけたフィールドなどもフル活用して、色々な想いと期待を胸に北海道を訪れるお客様の、想像を超えるツアーを提供したいです」。実際にお客様を案内して、地元の当たり前なことをお客様が凄く喜んでくれるのを見て、もっともっとできることが見えてきたそうです。

キャンププランの料理は見栄えもこだわっています

 

「北海道にはまだまだ知られていないフィールドも遊び方もあります。僕はそれをカタチにして、お客様の想像を超える感動を味わって頂くお手伝いをしたいんです」。オーダーメイドの外遊びを探求し続けるオールラウンドプレイヤーの弘中さん、今後の活躍に増々期待です!

☆弘中さんイチオシ、シーカヤックとハイキングの1Dayツアーはコチラ☆

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白老町でアイヌの知恵と文化を体感する「ネオ・フォーク」ガイドツアー 白老観光協会

ネオ・フォークツアー

白老町のポロト湖畔にアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」のオープンが1年後と迫りました。

一足先に、アイヌ文化を体感できる新しいプログラムがスタート。ポロトの森を舞台にアイヌの知恵と文化を感じて、食文化も楽しめるツアーがあります。

 

白老ポロトの森キャンプ場

集合は「白老ふるさと2000年ポロトの森キャンプ場」。ビジターセンター裏に新設されたトレーラーハウスが受付です。車で移動してツアーがスタート。

コースはポロト湖に沿う遊歩道、約2キロをゆっくり歩きます。森林浴を感じながら道を進むとキハダの木がありました。

キハダはアイヌ語で「シケレペニ」と呼ばれ、アイヌの中では、黒い果実に苦味があることから煎じて胃の薬として服用されてきたこと。内皮をやけどなどの病気に使ってきたことなどを教わります。

ハリギリ、アユシニの木

ハリギリの木は「他の木に比べて成長が早く、丸木船や臼、杵、鉢といった大型の生活用具をつくる材料になります」とガイドの説明。

ミズバショウが生える場所には湧き水があり、ここにエゾシカやタヌキ・キツネといった動物たちが集まるという野生を感じます。

トドマツの樹液をさわってみたり、野草を摘んでみたり。季節ごとにあまり知られていない自然の恵みを教わり体感します。

 

ツアーは出発地点にもどって一休み。イタヤカエデの樹液を使ったオハウという温かい汁物を味わいます。

わたしたちが普段見逃している食材を、アイヌの人たちが伝統的に使ってきた知恵を実際に味見ができます。

 

ガイドの手塚日南人さん

ガイドは白老町の地域おこし協力隊、手塚日南人(てづか・ひなと)さん。横浜市出身。高校1年生の時、早稲田塾とFASIDが共催の国際開発プログラムに参加した時から自然やエコツーリズム、先住民族などについて関心を持っていました。当時はSDGsを達成するための政治的運動にも参加していました。

早稲田大学国際教養学部に入学。学生時代にはスペインに留学。留学中、800年に渡るイスラム教徒の支配を経て多民族の文化が融合していく中で表出された芸術や文学を学んでいました。

それとは別で知人を通じて自然農についてや、スペインにおける有機栽培の普及、ビーガニズム、Podemosという第3政治勢力の動き、セクシャルマイノリティーの社会的地位についてなどフィールドワークをしていました。

手塚日南人さん

手塚さんはスペイン留学の後、エコビレッジやベンチャー企業などでインターンシップをしつつ、音楽活動を通じた新しい生き方を模索・発信。

たまたま友達に誘われた東京のアイヌ居酒屋でカルチャーショックを受けます。約半年後、知人を通じて白老町でポロトの森の森林ガイド担当の協力隊募集があることを知り、すぐさま応募したそうです。

まちの人たちから伝統などを学びプログラム化。「森は天然の冷蔵庫」と、狩猟採取民族の文化を今に伝えることを通じて、この地に生きる人たちとの交流機会を提供しています。

 

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「人生で大切なことは馬が教えてくれます」札幌のピリカの丘牧場の渡辺真帆さん

札幌で馬を中心とした暮らしの型を実践している「ピリカの丘牧場」で、ファシリテーターをしている、渡辺真帆さんにお会いしてお話しを聞いてきました!

1993年、イギリスで生まれた渡辺さん。一度日本に戻るものの、小学生から再びイギリスへ。小学校2年生の時に乗馬クラブに入ったのが馬との出会いでした。「イギリスでは乗馬はピアノを習う感覚なんです」。

イギリスで乗馬を始めた頃

乗馬が楽しくなってきた時、「馬と話す男」の著者、モンティ・ロバーツ氏のデモンストレーションを見て衝撃を受け、将来は馬に携わる仕事をしたいと思い始めたそうです。モンティ・ロバーツ氏は、ホースウィスパラー と世界中の人から呼ばれていて、従来の馬業界の多くは、鞭などの調教器具を使って恐怖によって馬の意思を殺して調教する方法が主流の時代、馬の群れを観察する中で、暴力を使わずにボディーランゲージを使って馬と信頼関係を導く方法(ジョインアップ)を編み出した方です。「馬と信頼関係を築いてコミュニケーションがとれるようになると、どんどん馬が好きになってきました」。

犬は人を個体認識して主従関係が成立しているが、馬と人は違うそうです。「限りなく個体認識に近いのですが“こういう動きをする物体”として認識してて、馬は同じ人でもその人のその時々の状態や感情の変化で人への認識は変わってしまうんです。今の自分自身の状態を馬が教えてくれるんです」。

どんどん馬が好きになった渡辺さんですが、小学校6年生の時に再度日本へ戻ります。「子供心に逆カルチャーショックといいますか、イギリス人になってしまっていたのか、皆から帰国子女だと言われ続けて、日本人が理解できなくなってしまいました。。。」。見かねた両親が、日本に帰ってからも乗馬をさせてくれたのが、渡辺さんの心を救いました。「今思うと、馬は人を差別しないし、人の国籍や人のバックグランドなど関係なく、ちゃんと接すればちゃんとコミュニケーションがとれるんです」。馬とのコミュニケーション、馬の癒し・セラピー力が渡辺さんを立ち直らせてくれたそうです。ただ、イギリスで馬とのコミュニケーションの大切さを学んだ渡辺さんは、日本の馬をオペレートするスタイルの乗馬にはとまどったそうです。。。

競技にも出始めていた渡辺さんですが、中三の時に家庭の事情で乗馬を断念。。。目標を見失い、とにかく英語を極めようと猛勉強。「馬がなくなり自分の取り柄が無くなるのが怖かったんです」。その結果、高校時代に何回もTOEICで満点を採ったり、エッセーコンテスト、スピーチコンテスト、英語ディベートのサークルを立ち上げたり、英語どっぷりの高校生活でした。

「英語で世界の人とコミュニケーションを取ることは、馬とのコミュニケーションの取り方と似ていると思いました」。先入観とか個人の価値観を取っ払って、異文化コミュニケーションに必要なのは「相手の話を聞いて理解しようとする」ことで、渡辺さんが馬から学んだことでした。

アルバイトで子供に英語を教えていた渡辺さんは、日本の英語教育の問題を感じるようになり、上智大学の英語学科に進学。授業で面白かったのは批判応用言語学。「簡単に言えば応用言語学は英語の教え方、今の英語教育の手法でしょうか。批判応用言語学は“Aを教えてもBにならない”その背景には社会的な問題、文化的な背景、その国の施策によって違いが出ます。帰国子女のアイデンティティの問題、移民の問題など、表面的なことを見るだけではく、その背景を理解する必要があることを学びました」。

海外インターンシップ事業を運営する学生団体にも参加して活動を通じてリーダーシップを学び、渡辺さん自身もインドネシアで1年間インターンシップに行きました。「お互いの国で働けば相互理解が進んで国と国との争いごともなくなると思います。とても学びが多く充実した学生活動でした」。

インドネシアでのインターンシップ

学生時代、授業や異文化コミュニケーションを通じて、日本の教育改革に興味を持った渡辺さんは「私は大学まで教育を受けてきましたが、それ以外の教育は知らないんです。もっと世界の教育現場を知らなければ教育は変えられない」と思い、卒業後は70年代に『社会起業』の定義を生み、社会を変革する個人を発掘し輩出する仕組みから成るグローバル組織に入社しました。

教育現場をどうすれば、社会を変えられる人材を育成できるかを徹底的に調査する日々。世の中の先進的な取り組みに触れて、チャレンジしている人との出会は、渡辺さんを大きく刺激しました。

充実した活動でしたが、休みを取ってモンゴル旅行に行ったとき一大転機が訪れます。

きっかけをくれたモンゴル旅行

モンゴルでは久しぶりの馬との旅、一日中馬で旅をします。半野生馬のようなモンゴルの馬とは最初全然コミュニケーションが取れませんでした。。。

モンゴルでは一日中馬と一緒

でもどんどんコミュニケーションがとれるようになった時「私の人生で大切なことは全て馬から学んで来たのでは?」と気付きました。大学の授業も学生時代に参加していたインターンシップ事業も、就職した団体でも、教育も異文化交流も、人と人とは文化やパックグラウンドの違いを理解する力がなければ、コミュニケーションがとれない。いつまでたっても分かり合えずに変わることができない。「これって私は馬から学んで来た事では?」。

実際にやってみたい!フィールドで活動してみたい!と思った時に見つけてのが「ピリカの丘牧場」を運営している株式会社COASでした。しかもCOASのアドバイザーが尊敬するホース・ウィスパラー、モンティ・ロバーツのお弟子さんだったのです!運命を感じた渡辺さんは即入社を決意!

「子供の頃、馬から教わって馬に救われたこと、学生時代に学んだこと、社会に出て思ったこと、これを解決できるのは馬なのではないか?今までの人生が一つに繋がりました」。

そして、2018年6月に北海道のピリカの丘の牧場へ配属!ピリカの丘牧場は一般的な乗馬体験から、馬との暮らしから学べるプログラムが充実している。

ピリカの丘牧場で充実した日々

「馬と暮らす体験では、馬とのコミュニケーションの取り方を通じて自己認識・自己理解ができて、自分にとって大切なことが気付くことが出来ます。ここでは馬が先生なんです!」。大企業の経営幹部研修にも取り入れられているプログラムですが、子供も自分より大きい動物と信頼関係を築き、コミュニケーションが取れると自信になります。

「お馬さんはカワイイですし、乗馬も楽しいですが、時間があれば、馬との暮らし体験も経験して欲しいです。是非、馬先生に会いに来てください!」。人生で大切なことは馬先生から教わったという渡辺さんと馬先生に会いに来てみませんか?

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SUPをはじめ、道内各地でスペシャルツアーを展開中の「Hokkaido Great Adventure」の岸浩明さん

夏は支笏湖・積丹でSUP、冬はスノーツアーを催行している「Hokkaido Great Adventure」代表の岸浩明さんにお会いしてお話しを聞いてきました!

岸さんは、SUPとレスキューの達人

1965年北海道北見市生まれの岸さんは、子供の頃、冬はスピードスケート、夏は自転車と根っからのスポーツ少年。社会人になって自転車競技やトライアスロンに本格的に取り組み、にも北海道選抜チームで出場しました。1週間会社を休んで。。。

第一回のツールド北海道に参加

「まぁ田舎なんで運動しかすることないんでね(笑)、今の基礎体力はこの時期充分に養いました」。50代になった今もとても若々しいアスリートな岸さんです!

「スピードスケートの先輩達は皆消防士になっていたので、自分もなるものだと思っていましたが、私の時は採用がなくて。。。」。そこで知り合いの紹介で、スイミングスクールに就職してインストラクターを始めました。「仕事上、安全管理が必要で、ウォーターセーフティやレスキュー技術を学びました」。そして日本で初めて、日本赤十字の水上安全法の指導員にまで上り詰めました!

岸さんの転機は、2000年に北海道で日本ライフセービング協会のライセンスをとれるように働きかけて実現したことをキッカケに「この道で生きて行こうと」とスイミングスクールを退職。「でも現実はまったく食べて行けなくて。。。

夏は沖縄でライフセーバーの仕事をしながら、船舶免許とったり、ハワイに水上オートバイを学びに行ったり、技術領域を広げて、水上パトロールやレスキューの人材育成の仕事も出来るようになりました」。

カリフォルニア州で訓練

それでも当時、日給5000円の仕事で家族を養うのは苦しかったそうです。

その時、岸さんに2回目の転機が訪れます。沖縄慶良間諸島で仕事をしていた時、世界中のお客さんがこの海に来いることを知った。そしてガイド業が生業になることを知った「いつか北海道に帰ったら絶対にガイドになろう」と固く決心しました。自分の強みは水上安全技術。これをベースにウォーターアクティビティガイドになろうと思い、慶良間で深く係わるようになったSUPをメインにガイドスキルを学びました。

そして決断の時。2014年北海道に帰郷、SUPツアーに適した場所を求めて、妻と北海道中を巡りました。そして日本一と思える美しい支笏湖に出会い、地元の方の協力を得て、念願のSUPツアーをスタートしました。「当時、北海道にはSUPツアーはやっていなくて、6月~9月の土日だけ支笏湖でSUPツアー催行!とFacebookで発信したら、あっという間に満員になってびっくりしました!」。

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参加者は全て本州の方、「まるでスイスの湖で遊んでいるみたい」「山々の残雪を眺めながら自然と景色に癒された」と大満足して頂けたそうです。「この2時間のSUPツアーで2週間休んだような満足感を得られたよ」と言われた時にはゾクゾクしたそうです。岸さんはこのツアー風景を徹底的に写真に記録してSNSで発信しました。そして更にお客さんは増え続けました。

岸さんは「長くレスキューの世界で生きてきたので、常に最悪の事態が発生することを前提としたツアー催行を心掛けています。ライフセーバー時代に最悪の事故現場に何回も遭遇して多くのことを学びました。アウトドアツアーで絶対に事故は起きないって言えないんですよ。徹底的に磨いてきた安全管理技術を基礎に、でもお客様には微塵も不安を感じさせない楽しいツアーを心掛けています」。岸さんのツアーでは笑顔が絶えません。

「今の自分があるのは、北海道で生まれ、たくさんの地域を見てきて、多くの方に出会い、学ばせて頂いたからだと思います。人生の後半に入り北海道に何かを残したいんです。、それはSUPだけではなく、アウトドア体験を通じて北海道にアウトドア文化を根付かせたいんです」。実は北海道内のアウトドアガイドの多くは道外出身者で、北海道の魅力にハマって移住してきた方である。「地元の方にアウトドアガイドって素敵なんだよ、カッコいんだよ!って理解してもらえるような活動をしていきます。ガイドを現役で続けながら、担い手の発掘と育成、アウトドアガイドのネットワーク化、フィールドの開拓が自分の使命だと思っています」。

岸さんは、道内のアウトドア関係者の団体「北海道アウトドアフォーラム」の実行委員も担い、その使命を遂行中です。

アウトドアフォーラムにて

「北海道アウトドアフォーラムには道内各地の素敵でスーパーなガイドさん達が大勢参加していて、熱いフォーラムを毎年開催しています。いつかこのガイドさん達を紡ぐアウトドアキャラバンツアーをするのが僕の夢なんです!」。

いつも夫婦でSUP♪

支笏湖や積丹でSUPツアーを催行している岸さんですが、このネットワークを活かした道内各地を巡りスーパーアウトドアツアーが近々出来そうです。岸さんのこれからの動向に増々注目です!

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ニセコで廃校を利用した宿泊施設と「いかだ下り」など個性的な体験ツアーを催行している、宿&自然生活体験センター 冒険家族の阿南敬三さん

宿&自然生活体験センター 冒険家族の阿南敬三さん。ニセコの自然と共に暮らす「ニセコ自然体験の達人」にお話しを聞いてみました。

笑顔が素敵な阿南さん

1954人年大分生まれの阿南さんの故郷は、山を2~3越えて行かないとお店がない80軒ほどの小さな集落。「実家は農家で、ほぼ自給自足の生活でした」。

電気は来ていたそうですが、夜の外出時は提灯、水汲みや山で野草を採ったり、五右衛門風呂の火起こしは子供の仕事と、今の冒険家族で行われている様々な自然生活体験は少年時代の阿南さんの日常でした。

当時の子供には農繁休暇(農作業が忙しい時は学校を休める)もあり、「とにかく日々農業を手伝い、家畜の牛の散歩が毎日の日課でした(笑)」。中学生の時、親が農業を辞めて、家族で兵庫に移住して高校卒業後、大阪の専門学校に入りましたが、事故で1年間入院生活。。。「人の人生、何が起きるかわからない、もっとちゃんと生きよう」と決心して夜学に通いながら、地元の子供達を野山に連れて行って自然体験をするボランティア活動を始めました。

大分で過ごした少年時代の「日常」が、大阪の保育所や学童保育の子供達の自然体験活動に大いに役立ちました。「今は子供達の自然体験活動は各地で盛んですが、当時は全国でも珍しかったと思いますよ」。このボランティア組織は「アドベンチャーファミリー」と言い、今の「冒険家族」の語源になっています。

15年ほどボランティア活動を続けましたが、日増しに新天地で新しい冒険をしたい欲求にかられて、自分の理想郷を探すようになった阿南さんは「どうせなら知り合いが1人もいない場所でやりたい」と考えていた時、「北海道で廃校を利用した施設の記事を見て、これだ!と思って北海道に来て各地を探し回りました」。

そこで出会ったのがスキーで有名なニセコエリアの倶知安町にある廃校でした。しかし既に取り壊しが決まっていてどうにもなりませんでした。。。どうしても諦めきれなかった阿南さんは初めて訪れた倶知安町で知り合った地元の方に相談すると「皆さんが僕の想いに共感してくれて、役場に掛け合ってくれて、廃校を貸してくれることになりました!」。

移住者が多いこの町ならではなのでしょうか?皆で後押ししてくれたそうです。当時は「自然体験」という言葉に馴染みもなく、1936年築の校舎は窓も割れ、雨漏りもひどくボロボロ。。。「ニセコはスキーが盛んで、夏は学生のスポーツ合宿で賑わっていたので、なんとかなるだろう」。と持ち前の冒険心で家族と共に移住。

移住当時の阿南さん一家

半年かけて自力で改修して、1993年、宿泊と自然体験の「自然体験場 冒険家族」をオープンしました。廃校を利用して「自然体験活動」を始めた変わった移住者がいる、という話題性でマスコミが取り上げてくれたことが宣伝になり、大阪での経験を活かした自然体験活動や農業体験は、札幌市内の多くの学童クラブの子供達が来てくれるようになりました。

「僕はニセコの大自然を有難く使わせてもらっています。自然って本当に奥が深いんです。是非体感して欲しい、それを伝えるのが僕の役目です。川の中には石があって、藻が生えていて、魚がいて、じゃぶんと入って魚を捕まえようとすると、魚ってこんなにすばしっこいんだと分かったり、森に入れば、日々刻刻と変化する北海道特有の自然を体感できたり、自然の恵みを取り入れた暮らし体験ができるのもニセコの良いところだと思います」。

自然の中で心に残る経験を学ぶ楽しさを、自然体験活動を通じて冒険家族では伝えていきたいと阿南さんは言います。「倶知安に来て30数年、ニセコの大自然から教わったことを、これからも皆さんに伝え続けていきたい」。

阿南さんの冒険に終わりはありません。ニセコを知り尽くした伝道師、阿南さんが案内する自然体験活動に、参加してみませんか!

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日高で自然体験ツアーから観光まちづくり事業に携わっている「自然考房 Natura Designing」代表の鈴木宏紀さん

日高で自然体験ツアー・野外教育活動から観光まちづくり事業に携わっている「自然考房 Natura Designing」代表の鈴木宏紀さんは国立日高青少年自然の家を2018年に退職して、日高に完全移住「自然考房 Natura Designing」を立ち上げました!

日高山脈ペケレベツ岳の雲海をバックに

1975年愛知県生まれの鈴木さんは、子供の頃から釣り好きで、時にはマウンテンバイクで100キロ離れた場所まで釣りに行くほど、釣りにハマっていたそうです。この時、釣り場の川が護岸工事などによって生態系が変化することを知り、自然環境について興味を持つようになりました。「僕が生まれ育った愛知はモノづくりの町で、自然環境を学びたくて宇都宮の大学に進学しました」。

でも専攻は林学でした。。。大学生時代は自然保護系のサークル活動や環境保全系の学生ネットワーク活動に熱心に取り組み、ボランティア活動に明け暮れていました。「当時は、フロンガス回収やゴミのリサイクルなどをテーマに積極的に活動しながら、生態学を学びました」。

人生の転機が訪れたのは、大学の恩師が毎年ボルネオ島に行って樹木の研究をしていて、来たい人はこないか?そ誘われてボルネオに行ったことから始まります。

「ボルネオ島の自然は見たこともないほど素晴らしいんですが、一方では環境破壊も深刻だったんです。ボルネオ島の国立公園で暮らす山岳民族の皆さんとの交流がホントに楽しくて楽しくて、日々未知との遭遇の経験が出来ました」。

マレーシア・キナバル山の山頂にて、ガイドのジェームスと

ボルネオ島で人生観が変わった鈴木さんは、その後休学して1人バックパッカーでアジアを中心に旅に出ました。「同じ場所に長く滞在して地元の方と交流すると学ぶことも多く楽しかったです」。

旅先での地元の方との交流や、他国の旅人との交流体験が、鈴木さんの進む道を決めました。

卒業後は迷うことなくJICAの国際協力隊に応募して、タイ・チェンマイの山岳地帯へ赴任。植林技術支援を行いました。

タイ・チェンマイの学校での環境教育活動

しかし苦労の連続。。。「地元の方って、普通に言ってもちゃんと植えない、育てない、あげくに転売する。。。」悩んだ鈴木さんは「まずは現地の子供や大人たちを集めて、植林の大切さをゲーム感覚で楽しく学ぶワークショップ的なものを開催しました。

タイ・チェンマイの学校植林活動現場にて

当時の現地責任者の方が理解があって、自由にやらせてもらったのが大きかったです」。その活動を通じて、子供から大人まで遊びながら楽しく学ぶ手法などを経験できたことが大きかったです」。

「ちょうどその時、現地で日本のNGOの方と知り合いになり、JICAの任期が切れるとNGOに加わって、タイ・マレーシア・フィリピン・インドなどに赴任して、農村開発、人材育成、環境保全などをテーマに現地支援していました。「チェンマイでの経験を活かせたので、とても達成感のある仕事が出来たと思います」。

一方でマレーシアの子供達に自然の大切さを教えているの、ボルネオ島の熱帯雨林を開拓してゴムの木を植え、それを輸入して製品化しているのが日本だったりする現実を知って自己矛盾に悩んだこともあったそうです。

NGOでの活動を終え、帰国後は関東の自然学校に入って、子供達に自然をテーマとした体験活動に従事しました。「ここでも海外での体験環境教育の経験が役立ちました」。

埼玉県秩父で、棚田で米づくり体験の参加者と

そして運命の時が来ました!恩師から国立日高青少年自然の家がフィールドワークに詳しい専門家を求めているので行ってみないか?と誘いを受け、生まれて初めて北海道に来ました。

「日高は北海道の山岳地帯で、コンパクトな生活圏の周辺には素晴らしい自然があって、思いっきり気に入ってしまいました!住民の皆さんもとても親切なんです」。

日高の冬を楽しむプログラム「COLD HIDAKA(凍るど!日高)」

国立日高青少年自然の家での仕事や地元の皆さんとの温かい交流を通じて「ここにずっと暮らしていきたいと思うようになりました」。もう一つ大きなキッカケは北海道のアウトドア体験の推進を目的とした「北海道アウトドアフォーラム」の事務局を担ったことです。

「この時に出会った全道の素敵なアウトドア関係者の皆さんとの交流が、僕に決心させてくれました。ずっと日高で生きていきたい」。

そして国立施設を退職して日高に完全移住「自然考房 Natura Designing」を起業しました。「なんとなくなんとかなると思っちゃいまして。。。」このポジティブさは東南アジア各国での暮らしで染みついちゃったそうです。

鈴木さんの想いは、「ようやく得た定住の地、日高に貢献したいんです。地元の人達も、今までは国立施設の鈴木だったけど、まさか辞めて移住するとは。。。と驚いていますが歓迎してくれています。

この日高のコンパクトな生活圏と、リーチしやすい手つかずでワイルドな自然環境を活かした自然体験ツアーをしたいです。そして何より日高には私のようなよそ者を温かく受け入れてくれる文化があって、色々な特技をもった住民の方も多いんですよ。

北海道は何処に行っても自然はたくさんありますが、日高の人は日高にしかいないんですよ!次は町に貢献できて、お客様も住民も楽しめることを色々とやっていきたいです。

アジア各地で経験した地元の人達との交流の楽しさを、この日高で再現したいです」。それが出来るフィールドも人材もたくさんいるのが日高なんですね。これからの鈴木さんの活躍に期待しています!

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富良野で体験プログラムを企画・運営する「ウレシパ・フラノ」の後藤由美子さんにツアーの魅力を語っていただく

後藤由美子さん

ウレシパ・フラノ

体験プログラムコーディネーター

後藤由美子さん

 

 

―どのようなツアーを開催していますか?

後藤 「フラノ体験ツアー」と題して、電動自転車を使ったツアーや、富良野メロン収穫体験・養蜂体験・ミニトマト・とうもろこしの収穫体験を実施しています。

今年度はもう受付終了しましたが、田植えから収穫までの「お米手作り体験」もやっています。

冬は越冬野菜の体験のほか、味噌仕込みやソーセージ手作りといったインドア体験を実施しています。屋号の「ウレシパ」とはアイヌ語で「お互いを育て合う」という意味。このコンセプトで各種ツアーを企画・開催しています。

 

―人気はどのプログラムですか?

後藤 メロンと養蜂の体験ですかね。どのように蜂を管理しているのかといった日頃の知られざる作業を体験することができます。つなぎを着てネットを被り、長靴を履いて、グローブをつけて。六角形がつながる幾何学模様の蜂の巣って、みなさん見たことがないと思います。じっくりと観察することができます。場所は富良野市内、あちこちに作業場があり、その時々で条件がいいところを選んでご案内しています。

体験では蜂が集めた蜜を試食します。時期と場所によって色や味がぜんぜんちがうのです。食べ比べを楽しみます。実はメロンと養蜂って深いかかわりがあるのです。メロンの受粉作業はミツバチがやっています。こういった自然を学ぶエコツアーにしています。

 

田んぼでの後藤由美子さん

 

―そのほかには?

後藤 今年2019年からミニトマト農家さんへ行き、季節の野菜収穫とアウトドアクッキングとしてピザ釜を使ってピザを焼くプログラムもスタートします。

そのほかは電動自転車のサイクリングツアーです。参加者によってカスタマイズしますが、基本的なルートは中富良野をベースに3つのラベンダー畑の周辺を巡るコースと、富良野市内での食べ歩き的なまち歩きコースなどがあります。

 

―始めたきっかけは?

後藤 10年以上富良野の観光協会にいました。観光案内所でお客さまとお話しするなかで、「農業や食に関する体験型のものがないですよね」と。要望はあるのに、農家さんもその時期は忙しい。団体はともかく個人のお客さまを受け入れてくれるところがなくて。それで、わたしが実施することにしたのです。

 

―農家さんとはどのように?

後藤 山部(やまべ)地区の大石農園さんが受け入れてくれることで事業をスタートすることができました。大石さんとは、先代のお父さんの時に知り合いました。

最初のきっかけは香港のメディア取材の依頼があった時でした。「冬の農家が何をしているのか取材したい」という一風変わったものでした(笑)。こんなことを頼める人はなかなかいなくて。人づてに先進的なことをやられていると知ってお願いしたのが大石さんだったのです。

現在は大石さんの息子さんが東京から帰ってきて農家を継いでいます。息子さんも割と新しいことをやりたいということで、引き続き受け入れてもらっています。

 

―出身はどちらですか?

後藤 兵庫県の神戸出身です。20代後半のOLの時、初めてひとり旅をしたのが北海道。まず富良野に来ました。わたし、テレビドラマの『北の国から』世代なのです。

その後、北海道を軽く1周しました。この旅の途中で知り合った人が、その時は層雲峡でしたが、富良野で民宿を始めたという年賀状が来たのです。ご縁だと思い「これは、行くしかないでしょう!」と富良野へ。

その民宿のヘルパーに来たのが移住のきっかけ。以来、20年近くの年月が経過しました。

 

メロンハウスでのウレシパフラノ、後藤さん

 

―ツアー参加者はどんな人?

後藤 参加者は実は、外国の人が多いのです。観光案内所に勤めていた時に、さまざまな国の人がくることで、カタコトですが英語を覚えました。外国人も本州の人もそうですが、こういった一面、畑や田んぼのフィールドに来ると、すべてに驚かれます。ミニトマトがなっている姿を見るだけでも感動だと言われます。ましてやアスパラの成長した姿など、ほとんどの人が初めて見たとびっくりされます。

こうしたお客さまの表情をみるにつけ「ガイドツアーをやってよかったたなあ」とやりがいを感じますね。旬のものを畑で新鮮なうちに味わうことで「甘さがちがう〜」と一様に驚かれます。

 

―参加者に感じてほしいことは?

後藤 メロンを始めこの地の野菜類がおいしいのは、寒暖の差があることはもちろん、人々の苦労と工夫のたまものだと思っています。土は決して肥沃なわけではありません。開拓の時からの苦労話しをあちこちの農家さんから聞かされました。ここまでブランド化になったことに対して尊敬の念をいだかずにはいられません。

観光で来る人は、ここ富良野の景色を楽しみにしていると思います。この景観をつくっているのは、人の力によるということを、伝えていきたいと思います。想いを伝えることによって、野菜やメロンなどの「おいしさ」につながるのではないかと思っています。

今シーズンも道内外の人にツアーに参加してもらいたいですね。そして、食材のおいしさについてもっと知っていただけたらうれしいです。

 

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(本文敬称略)